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真・三國無双2 攻略データベース

真・三國無双2攻略です。MAP付きでシナリオ攻略・アイテム入手方法などを掲載しています。

最終更新日:2019/08/04

目次

無双モード攻略【蜀】

【蜀】
┣ 趙雲
┣ 関羽
┣ 張飛
┣ 諸葛亮
┣ 劉備
┣ 馬超
┣ 黄忠
┣ 魏延
┣ 姜維
┗ 龐統

無双モード攻略【魏】

┣ 夏侯惇
┣ 典韋
┣ 張遼
┣ 曹操
┣ 夏侯淵
┣ 徐晃
┣ 張郃
┣ 司馬懿
┣ 許褚
┗ 甄姫

無双モード攻略【呉】

┣ 周瑜
┣ 陸遜
┣ 孫尚香
┣ 甘寧
┣ 孫堅
┣ 太史慈
┣ 呂蒙
┣ 黄蓋
┣ 孫権
┣ 孫策
┣ 小喬
┗ 大喬

戦場MAP(武将&アイテム位置)

┣ 黄巾の乱
┣ 虎牢関の戦い
┣ 劉表奇襲戦
┣ 宛城の戦い
┣ 関羽千里行
┣ 呉郡攻略戦
┣ 成都制圧戦
┣ 官渡の戦い
┣ 赤壁の戦い
┣ 長坂の戦い
┣ 潼関の戦い
┣ 合肥の戦い
┣ 合肥新城包囲戦
┣ 樊城の戦い
┣ 定軍山の戦い
┣ 夷陵の戦い
┣ 五丈原の戦い
┣ 石亭謀略戦
┣ 南蛮夷平定戦
┣ 街亭の戦い
┣ 山賊討伐戦
┣ 集落救出戦
┗ 海賊撃退戦

データ集

シナリオ概要
通常アイテム
通常装備アイテム
レア装備アイテム
ユニーク武器入手条件
武将出現条件
フリーモード出現条件
チャレンジモード
武将・護衛兵の武勲や階級


西暦184年 黄巾の乱(討伐軍シナリオ)
中平元年(184)春、張角を教祖と崇める教団・太平道の信徒らが、各地で一斉に蜂起した。
権力闘争で腐敗し頽廃しきった朝廷に、不満を爆発させたのである。

この反乱は、信徒らが頭に黄色い布を巻いていたことから、「黄巾の乱」と呼ばれた。
その勢力は留まるところを知らず、瞬く間に中原全土へと広がっていく。

これに対し朝廷は、討伐軍を編成すべく各地に檄を発して義兵を募った。
この呼びかけに自らの未来を賭けて英雄たちが集う。
それは、後の三国争乱の世の幕開けであった・・・
西暦184年 黄巾の乱(黄巾党シナリオ)
中平元年(184)春、太平道の信徒たらが教祖・張角の指揮のもと、各地で一斉に蜂起した。
権力闘争で腐敗し頽廃しきった朝廷に天誅を加えるべく立ち上がったのである。

この義拳は、信徒たちが頭に黄色い布を巻いていたことから、「黄巾の乱」と呼ばれた。
黄巾党の勢力は燎原の火のごとく、瞬く間に中原全土へと広がっていった。

これに対し朝廷は、各地に檄を発して野心に溢れる兵を募り、軍を編成して戦いに挑む。
果たして張角は朝廷を倒せるのか。そして、黄天のもと泰平の世を築くことができるか・・・
西暦191年 虎牢関の戦い(連合軍シナリオ)
強権を振るう董卓に不満を抱いた各地の群雄は、曹操の発した「董卓討つべし」の檄文に応え、一斉に拳兵した。
ここに袁紹を盟主とする反董卓連合軍が結成されたのである。

初平二年(191)、ついに洛陽の東で両軍が激突する。軍事上の要衝にして難攻不落をうたわれる
水関、虎牢関を巡って、今しも戦いが繰り広げられようとしていた・・・
西暦191年 虎牢関の戦い(董卓軍シナリオ)
世を揺るがした黄巾の乱は、討伐軍の奮闘によって一応の平定を見たが、天下は未だ混沌としていた。
こうした時期に台頭し、混乱を収めたのが西涼からの救世主・董卓である。

英雄的な働きにより幼い皇帝を救った董卓は、都・洛陽に入城し、軍政を任される。
さらに猛将・呂布をも従えて、溢れる才知と強大な軍事力を背景に、政治を担うまでになった。

各地の群雄は、董卓の活躍を妬んだ。そして、曹操の発した「董卓討つべし」の檄文に応え、一斉に拳兵する。
ここに逆賊、袁紹を盟主とする反董卓連合軍が結成されたのである。

そして初平二年(191)、洛陽の東で両軍が激突する。軍事上の要衝にして難攻不落をうたわれる
水関、虎牢関を巡って、熾烈な戦いが今、繰り広げられようとしていた・・
西暦192年 劉表奇襲戦(孫堅軍シナリオ)
董卓を討伐後、洛陽に駐屯していた孫堅は、思いがけず伝国の玉璽を手に入れる。
それを知った袁紹は、玉璽を奪わんと劉表に密使を送り、帰途についた孫堅を襲わせた。

劉表の襲撃から辛くも逃れた孫堅だったが、その恨みたただならず、次第に敵意を募らせていく。
そして初平三年(192)、劉表のもとへ孫堅の船団が向かっていった・・・
西暦192年 劉表奇襲戦(劉表軍シナリオ)
荊州の刺史・劉表のもとに、袁紹より書簡が届く。それは、孫堅を襲うべし、というものだった。
そのころ孫堅は、伝国の玉璽を持ち帰ろうとして、洛陽からの帰途にあった。

劉表は孫堅を襲撃するが、惜しくも逃がしてしまう。これを恨みに思った孫堅は、劉表への復讐を誓う。
そして、初平三年(192)、劉表のもとに呉の船団が迫っていた・・・
西暦197年 宛城の戦い(曹操軍シナリオ)
献帝を許昌に迎え入れた曹操は、その後見人に納まって、地盤を確かなものとしていった。
さらに曹操は、南の荊州へと攻め入り、宛城の張繍を降伏させて支配下とする。

建安二年(197)、宛城に入った曹操は、そこで元の城主だった張済の妻に心を奪われてしまう。
張済の甥である張繍は、そのことを知って怒り、曹操の急襲を決意した。

軍師・賈詡の計略に従って、張繍軍が曹操の本陣に夜襲をかける。
火の手があがり兵たちが押し寄せる中、曹操を逃がさんと、一人の武将が敵兵の前に立ちはだかった・・・
西暦197年 宛城の戦い(張繍軍シナリオ)
許昌に献帝を迎えた曹操は、その後見人へと納まり、権力を手中にしていた。
さらに曹操は南方の荊州に攻め入り、宛城に拠っていた張繍は降伏させられてしまう。

建安二年(197)、宛城に入った曹操は、あろう事か元の城主だった張済の妻を我が物としてしまう。
張済の甥である張繍にとって、これほどの屈辱はなかった。

怒った張繍は、奸雄・曹操の襲撃を決意する。
軍師・賈詡の計略に従って、張繍軍が曹操の本陣を急襲する。
兵たちが取り囲む本陣からは、今にも火の手があがらんとしていた・・・
西暦197年 呉郡攻略戦(孫策軍シナリオ)
建安二年(197)、江東の地に確たる基盤を築き上げるべく、次代を担う若き英雄たちが呉郡の攻略に赴いた。
そこでは、ひとりの勇将が不退転の決意で待ち受けていた・・・
西暦197年 呉郡攻略戦(連合軍シナリオ)
黄巾の乱、そして反董卓連合による討伐戦と、打ち続く戦乱の波は、各地へと広がっていた。
そして劉繇の治める江東の地でも、その領土を孫策が虎視眈々と狙っていた。

建安二年(197)、呉郡の劉繇のもとに、孫策軍迫る、との報がもたらされる。
野心を抱いた奸賊が、ついに牙をむいたのである。
こりをしのがねば生き残る道はない・・・
西暦200年 官渡の戦い(曹操軍シナリオ)
時代は、群雄が割拠し、天下を巡って熾烈な抗争を繰り広げる、戦国乱世へと突入する。
そして、群雄の中でも抜きん出ていたのが、河北に一大勢力を誇る名門・袁紹だった。

これに対したのが、河南を治める曹操である。大軍を従えて南下する袁紹と、小勢ながらも勇敢に立ち向かう曹操。
建安五年(200)中原の覇権を賭け両雄が官渡の地で激突した・・・
西暦200年 官渡の戦い(袁紹軍シナリオ)
激闘の末に董卓を破った連合軍であったが、もはや後漢王朝は完全に権威を失っていた。
群雄たちはそれぞれの野望を胸に秘め、自らの本拠地へと散っていった。

かくして、群雄が割拠し、天下を巡って熾烈な抗争を繰り広げる、戦国乱世へと突入する。
その中でも抜きん出ていたのが、河北四州に一大勢力を誇る、名門出身の袁紹だった。

これに対したのが、天子を楯に勢力を伸ばし河南を手にした奸雄・曹操である。
建安五年(200)、袁紹軍が官渡へ向かい、中原の派遣を賭けた戦いが、始まろうとしていた・・・
西暦201年 関羽千里行(関羽軍シナリオ)
未だ地盤を持たなかった劉備は、流転を重ね袁紹のもとに身を寄せていた。
一方、劉備とはぐれた関羽は、曹操の客将となっていた。
二人が再び出会ったのは、戦場だった。

建安六年(201)、ついに関羽は決意する。
曹操の幕下を去り、本来の主君である劉備のもとへと帰ることを。
もはや、何者も関羽の行く手をさえぎることはできなかった・・・
西暦201年 関羽千里行(曹操軍シナリオ)
官渡の戦いの最中、敵味方に分かれて戦場に見える劉備・関羽義兄弟の姿があった。
各地を流転して袁紹のもとに身を寄せていた劉備。仲間とはぐれて曹操の客将となっていた関羽。

一瞬の邂逅が、関羽に決意させた。建安六年(201)、関羽は、本来の主君である劉備のもとへ帰るべく、曹操のもとを去る。
だが、この後を追うひとりの武将の姿があった・・・
西暦208年 長坂の戦い(劉備軍シナリオ)
建安十三年(208)、華北の地に一大勢力を築いた曹操は、大軍を率いて南下し、荊州への侵攻を開始する。
その途上には、樊城の守備にあたる劉備がいた。

空前の危機を迎えた劉備は、彼を慕う兵や民を引き連れて逃亡する。
そして殺到する曹操軍に対し、抗することも敵わず退却戦を余儀なくされるのであった・・・
西暦208年 長坂の戦い(曹操軍シナリオ)
建安十三年(208)、華北の地に一大勢力を築いた曹操は、大軍を率いて南下し、荊州への侵攻を開始した。
その途上、樊城の守備にあたっていたのが劉備だった。

劉備は、曹操に抗すべくもなく長坂への逃走を図る。兵のみならず、民までも引き連れた劉備一行の足取りは重い。
曹操軍は容赦なく追撃し、逃げる劉備軍の背後へと迫った・・・
西暦208年 赤壁の戦い(劉備軍シナリオ)
劉備たちが逃げ延びていた夏口では、呉の重臣・魯粛が待っていた。
この出会いが、魏に対抗する連合構想を実現に近づける。
両国の命運を握り、諸葛亮が呉への使者に立った。

建安十三年(208)、降伏か交戦かで揺れる孫権だったが、諸葛亮の説得に意を決する。
かくして両国の同盟が成立し、周瑜・諸葛亮の両軍師が曹操の大船団を迎え撃つ・・・
西暦208年 赤壁の戦い(曹操軍シナリオ)
中原の最大勢力となった曹操が、次に目標としたのは、孫一族が治める江東の地だった。
水戦を得意とする呉軍に対抗するべく、曹操は玄武池を作って水軍の調練に励んだ。

建安十三年(208)、曹操は万全の態勢を整え水戦に挑む・一方、孫権は劉備と同盟を組んで対抗する。
周瑜らが策謀を巡らす中、曹操の野望を乗せた大船団が長江をゆく・・・
西暦208年 赤壁の戦い(孫権軍シナリオ)
建安十三年(208)、華北の地を平らげた曹操が、自ら軍を率いて南征に赴いた。
荊州を蹂躙したのち、孫一族の勢力圏である江東への矛先を向けたのである。

降伏か交戦かで揺れる呉であったが、孫権が決断を下す。呉の存亡は、劉備との連合軍に賭けられることとなった。
長江を埋める魏の船団を前に、周瑜らが策謀を巡らせる・・・
西暦214年 成都制圧戦(劉備軍シナリオ)
建安十六年(211)、荊州を治める劉備のもとに、隣の益州からの使者が訪れる。
周辺勢力の侵攻を恐れた劉璋が、同族である劉備を頼り、加勢を求めてきたのである。

益州は豊かな地だったが、惰弱な君主・劉璋には不安を抱く者が多かった。
そして、劉備陣営でも、益州を取るべし、との声が高まる。
ついに劉備が重い腰を上げた・・・
西暦214年 成都制圧戦(劉璋軍シナリオ)
肥沃な地・益州を治めていた劉璋は、つねに周辺の勢力から驚かされていた。
そんな折、劉璋の同族でもある劉備が、隣の荊州に拠点を構える。

劉璋は、配下の進言もあって、劉備に加勢を求める使者を送る。
はじめ劉璋を支えるかのように振る舞っていた劉璋であったが、その本心は別のところにあった。

建安十六年(211)、ついに劉璋は梟雄の本性を現し、益州を奪わんと成都へ攻め上る。
これに対し劉璋は、成都の守りを固め、劉備を返り討ちにせんと待ち構えるのであった・・・
西暦211年 潼関の戦い(連合軍シナリオ)
建安十六年(211)、曹操は矛先を西へと転じる。
その途上には馬超や韓遂ら、関中の十郎と呼ばれる豪族が割拠していた。
曹操の侵攻を恐れた馬超らは、連合軍を結成する。

馬超にとって曹操は、かつて父と弟を殺された憎むべき仇でもあった。
復讐に燃える馬超は騎馬軍団を率いて出撃し、潼関にて曹操軍の到来をいまや遅しと待ち構えていた・・・
西暦211年 潼関の戦い(曹操軍シナリオ)
建安十六年(211)、曹操は矛先を西へと転じる。
その途上には馬超や韓遂ら、関中の十郎と呼ばれる豪族が割拠していた。
曹操の侵攻を恐れた馬超らは、潼関に集結する。

曹操にとって関中は通過点に過ぎず、目標はその先の地にあった。
しかし、かつて曹操に肉親を討たれた馬超が復讐の念に燃え、曹操の前に立ちはだかった・・・
西暦215年 合肥の戦い(魏軍シナリオ)
気勢の上がる魏に、危機感を抱いた呉が抵抗する。
孫権自ら大軍を率いて出陣し、魏領へと侵攻したのだ。
曹操は前線の皖城に救援を送るも、到着を前に落とされてしまう。

建安二十年(215)、北上した呉軍が合肥へと迫った。
呉軍来襲の報せを受けた曹操は、合肥の守将・張遼らに策を授けて待ち構える。
孫権を返り討ちにしてくれんとばかりに・・・
西暦215年 合肥の戦い(呉軍シナリオ)
魏の侵攻を食い止めた呉は、反撃へと転じる。
孫権自ら大軍を率いて出陣し、長江を越えて魏領に進攻したのだ。
手始めに皖城を破ると、呉軍はさらに北へと向かった。

建安二十年(215)、呉軍は合肥の攻略を開始した。
呉軍来襲の報せを聞いた曹操は、守将・張遼に策を授け、援軍を向かわせる。
呉の、そして孫権の正念場が迫っていた・・・
西暦219年 樊城の戦い(蜀軍シナリオ)
建安二十四年(219)、荊州を守る関羽に劉備から、樊城を攻めよとの命令が降った。
軍勢を率いて北上した関羽は、魏の将兵らが守る樊城を取り囲む。

長雨が降り続く中、関羽は増水した水さえも味方にして樊城に攻めかかる。
一方、退路を失った魏軍は、援軍を待って必死に抵抗する。
果たして関羽は樊城を落とせるのか・・・
西暦219年 樊城の戦い(魏軍シナリオ)
建安二十四年(219)、荊州を守る関羽が劉備の命で北上し、魏の樊城に攻め寄せた。
これに対して曹操は、劉備からの荊州奪還を目論む孫権を利用するべく、使者を送る。

一方の樊城では、関羽の軍勢に取り囲まれた魏兵らが決死の覚悟で籠城戦に挑んでいた。
さらに、長雨による増水が樊城を襲う。この苦難に耐え、援軍を迎えることができるか・・・
西暦219年 樊城の戦い(呉軍シナリオ)
建安二十四年(219)、荊州を守る関羽が劉備の命で北上し、魏の樊城に攻め寄せた。
おりしも荊州を奪還せんと目論んでいた孫権に、曹操からの使者が訪れる。

樊城では、関羽の軍勢に取り囲まれた魏兵らが決死の覚悟で籠城戦に臨んでいた。
さらに長雨による増水が樊城を襲う。呉の英雄たちは、樊城を危機から救うことができるのか・・・
西暦219年 定軍山の戦い(蜀軍シナリオ)
蜀の地盤を固めた劉備は、漢中に目を向ける。その頃の漢中は、西へと勢力を伸ばした魏の支配下にあった。
しかし、兵站の拠点である定軍山さえ落とせば、奪取も不可能ではない。

建安二十四年(219)、蜀の軍勢は定軍山へと向かった。近隣の山を攻略した黄忠が、定軍山の将兵らを挑発する。
そして、ついに戦闘の幕が切って落とされた・・・
西暦219年 定軍山の戦い(魏軍シナリオ)
中原の西へと勢力を伸ばした魏は、漢中までも手にする。
兵站の拠点として定軍山を重視した曹操は、その守りに張郃・夏侯淵の両将をすえて南方からの攻撃に備えた。

建安二十四年(219)、曹操の読みどおり蜀の軍勢が定軍山に迫った。
近隣の山を攻略した蜀の将が、定軍山の夏侯淵らを挑発する。そして、戦闘の幕が切って落とされた・・・
西暦222年 夷陵の戦い(蜀軍シナリオ)
蜀軍が勝利を喜んだのも束の間、関羽の隙を突いた呉軍に荊州を奪取されてしまう。
関羽の恨みを晴らし、呉を討ち滅ぼさんと、復讐に燃える劉備が立ち上がった。

自ら大軍を率いて東進した劉備は、夷陵を前に長い陣を布く。そして章武二年(222)、静観していた陸遜がついに動いた。
果たして劉備は本懐を遂げることができるのか・・・
西暦222年 夷陵の戦い(呉軍シナリオ)
これまで呉は、魏と対抗するために蜀と同盟を結んでいたが、荊州を奪還したことにより関係が悪化する。
蜀の劉備は激怒し、荊州を奪い返さんと自ら大軍を率いて出陣した。

蜀軍は長江沿いの夷陵に布陣する。その長さは七百里にも及んでいた。
呉の軍師・陸遜はひたすら時械を待ち、黄初三年(222)、ついに出動の命令を発した・・・
西暦225年 南蛮夷平定戦(蜀軍シナリオ)
蜀の軍師・諸葛亮は、北方の魏に目を向けるが、その前に片付けておくべきことがあった。
そのころ南中の地では、複数の民族が独立し、南方から蜀を脅かしていたのである。

建興三年(225)、諸葛亮は後顧の憂いを断つべく南征を願い出た。そして、蜀の武将らの率いる軍勢が南へと向かう。
そこには、南蛮王・孟獲とその軍団が待ち受けていた・・・
西暦225年 南蛮夷平定戦(呉軍シナリオ)
黄武四年(225)、中原の安定を見た呉は、南蛮の地をめざした。
勢力を南方へと広げることにより、北に広大な領土を持つ魏よりも優位に立とうとしたのである。

呉による南征の報せは、南蛮王・孟獲のもとにも届いた。孟獲らは、これを迎え撃たんと急ぎ軍備を整える。
進軍する陸遜らを待っていたのは、かつて見たことのない軍だった・・・
西暦225年 南蛮夷平定戦(南蛮軍シナリオ)
南中の北方、蜀の国で不穏な動きが起こる。蜀の軍師・諸葛亮が南征を願い出たのである。
建興三年(225)、南中へ向けて、蜀から侵略の軍勢が押し寄せる。

そのころの南中は、複数の民族が独自の文化のもとに暮らしていた。
そして、数ある部族の中でも人望を集め、指導者の役割を担っていたのが南蛮王・孟獲であった。

孟獲は、南中の地を侵略者の手から守るため、精鋭の兵士たちに号令した。
地の利を生かし、象兵ら特殊部隊を動員し、戦へと臨む。
ついに南蛮軍がその本性を現した・・・
西暦228年 街亭の戦い(蜀軍シナリオ)
後顧の憂いがなくなった蜀は、北伐へと乗り出し、諸葛亮率いる軍勢が出陣した。
西方の地を攻略し、大都督・曹真を打ち破るに至り、魏は司馬懿を送り出して対抗する。

建興六年(228)、諸葛亮は漢中の要衝・街亭の守備に、若き俊才・馬謖を抜擢した。
街道を守ることに専念し、占拠されることのないようにと言い含めて・・・
西暦228年 街亭の戦い(魏軍シナリオ)
順調に拡大する魏に対し、蜀の諸葛亮率いる軍勢が攻め寄せる。
魏は、西方を切り崩されたうえに大都督・曹真までも破られ、ついに切り札・司馬懿を指揮官として起用した。

ただちに出陣した司馬懿は、山に諸葛亮と対峙し、太和二年(228)、漢中における蜀軍の要衝・街亭へと迫る。
そこを守るのは、諸葛亮の愛弟子・馬謖であった・・・
西暦228年 石亭謀略戦(魏軍シナリオ)
一度は呉を退けた魏だったが、両国間で再び戦端が開かれる。
呉の太守・周魴が、呉滅亡の七カ条を掲げ、魏に降りたいとして、呉領への手引きを申し出てきたのである。

太輪二年(228)、曹休率いる魏の軍勢は、降将・周魴に導かれるままに石亭へと向かう。
しかし、魏軍の中には謀略を疑う声もあり、当然、司馬懿もそれを承知していた・・・
西暦228年 石亭謀略戦(呉軍シナリオ)
勢力を蓄えた呉は、再び魏との戦いに臨んだ。呉の太守・周魴が「埋伏の毒」となって魏に降ったのである。
周魴は、自らの髪を切って魏への忠誠心を示し、曹休を欺いた。

黄武七年(228)、周魴の手引きによって、曹休率いる魏の軍勢が石亭への誘い込まれる。
そこには、陸遜をはじめ呉の将が、手ぐすね引いて待ち構えていた・・・
西暦234年 合肥新城包囲戦(魏軍シナリオ)
隆盛を極める魏に対し、再度、呉軍が戦いを挑む。孫権は自ら軍を率いて出陣した。
それはまさに最終決戦の様相を呈していた。一方。迎え撃つ魏は、守りを固めてこれに備える。

青竜二年(234)、合肥新城を呉軍が包囲した。
守る魏軍と攻める呉軍、老練な司馬懿と気鋭の陸遜、両国の命運を賭けた戦いが、いま始まろうとしていた・・・
西暦234年 合肥新城包囲戦(呉軍シナリオ)
勢いを得た呉は、魏との雌雄を決するべく、北への進攻を開始した。
自ら軍を率いた孫権が、魏の合肥新城に向けて進軍する。これを迎えるは、百戦練磨の指揮官・司馬懿。

黄竜五年(234)、呉の若き司令官・陸遜が知略を尽くして合肥新城に挑む。守る魏と攻める呉、どちらが勝るのか。
両国の命運を賭けた戦いが、いま始まろうとしていた・・・
西暦234年 五丈原の戦い(蜀軍シナリオ)
すでに呉が滅びた今、蜀は漢王朝再興という大義のもと、魏の討伐へと乗り出す。
一方の魏は、これを返り討ちにするべく、司馬懿に大軍を預けて西へと送り出した。

建興十二年(234)、軍勢を率いて関中に赴いた諸葛亮は、台地の五丈原に陣を布き、最後の戦いに臨む。
魏と蜀が、そして二人の奇才が、ここに雌雄を決しようとしていた・・・
西暦234年 五丈原の戦い(魏軍シナリオ)
天下の大勢が魏へと傾く中、漢王朝の再興にこだわる蜀が執拗に抵抗する。
蜀の諸葛亮は不利な状況を打破するべく、五丈原に拠点を築くという大胆な策を実行した。

一方の魏は、かつて蜀の遠征軍を退けている司馬懿を送り出し、五丈原へと攻め寄せる。
青竜二年(234)、魏と蜀、そして二人の奇才が、ここに雌雄を決しようとしていた・・・

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