真・三國無双2攻略 武将辞典【魏】 - ゲーム完全限界攻略メモ置場

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武将辞典【魏】

真・三國無双2攻略 武将辞典【魏】を掲載しています。

目次

于禁(ウキン)
?−221
字は文則。
曹操配下の勇将。曹操の旗揚げ当時から付き従い各地を転戦。
冷静さを曹操に絶賛された。樊城の攻防で関羽に敗北して降伏。
孫権により魏に送還されたが、汚名を恥じて病死した。
王朗(オウロウ)
?−228
字は景興。
魏の臣。曹操、そして曹丕と仕え、しぶる献帝を脅し譲位を迫った。
渭水の戦いで諸葛亮に論戦を挑むが、一蹴されて憤死した。
賈逵(カキ)
生没年不明
字は梁道。
魏の臣。曹彰が曹丕と後継の座を争おうとするのを諌めた。
対呉戦では、曹休の参謀として参陣し、周魴の偽りの投降をいた。
夏侯淵(カコウエン)
?−219
字は妙才。
魏の将。夏侯惇の従兄弟。曹操の挙兵から行動をともにし、軍の一翼を担った。
急襲を得意とした名将で、馬超を破るなど活躍する。
しかし、定軍山の戦いでは蜀将の挑発に誘い出され、最期は黄忠に斬られた。
夏侯恩(カコウオン)
?−208
曹操の側近。曹操が所有していた二本の名剣「青紅」と「倚天」を預かっていた。
長坂坡で趙雲に斬り殺され、「青紅」の剣を奪われる。
夏侯尚(カコウショウ)
?−225
字は伯仁。
魏の将。夏侯惇の甥。定軍山の戦いでは捕虜となり、陳式との人質交換で自国に戻った。
のち曹真の配下として呉を三路から攻めたが、陸遜の前に敗北した。
夏侯徳(カコウトク)
生没年不明
魏の将。夏侯惇の甥で、弟に夏侯尚がいる。
天蕩山を守備したが、蜀将・厳顔に火を放たれて、消火作業に気をとられていたところを厳顔によって斬られた。
夏侯惇(カコウトン)
?−220
字は元譲。
魏の将。曹操とは従兄弟。
呂布との戦いで矢を左目に受けるが、父母からもらった物だからと、抜いた矢に刺さった目玉を食らったという。
その後も軍を率いて各地を転戦し、曹操の片腕として活躍した。
韓浩(カンコウ)
生没年不明
字は元嗣。魏の将。
袁術の配下だったが、夏侯惇に請われて曹操に仕える。
曹操に屯田制の必要を進言した。演義では長沙太守・韓玄の弟。
楽進(ガクシン)
?−218
字は文謙。
曹操配下の勇将。曹操の旗揚げ当時から付き従った。
各地を転戦して目覚しい活躍を見せ、張遼、于禁、徐晃、張郃、と並び魏の五将軍として称賛された。
許褚(キョチョ)
生没年不明
字は仲康。魏の将。
身の丈八尺以上の大男。典韋と互角に戦った実力を認められ、護衛役として曹操に付き従う。
普段は無口でぼんやりしているが戦場では虎のように勇猛に戦ったことから「虎痴」の異名をとった。
胡質(コシツ)
生没年不明
魏の将。東莞の太守。
呉の周魴が投降した際、曹休を援護するため、建威将軍・賈逵に従って満寵とともに東関へと向かった。
史渙(シカン)
?−202
字は公劉。
曹操配下の将。官渡の戦いで袁紹側の間者を捕らえ、上司である徐晃の前に引っ立てる。
さらに間者の情報を得た徐晃に従って韓猛を襲い、兵糧を焼き払った。
司馬懿(シバイ)
179−251
字は仲達。
魏の臣。曹操に才能を見出され、重用される。
蜀との戦いでは、諸葛亮の挑発に乗らず、守勢に徹して勝利を収めた。
曹氏四代に仕えるが、曹爽との争いに勝ち魏の実権を掌握。
晋王朝の土台を築いた策謀家。
司馬昭(シバショウ)
211−265
字は子上。
魏の臣。司馬懿の次男。兄の司馬師とともに権勢を振るう。
兄の死後、大将軍の位を継いだ。蜀を平定したのち、晋王となった。
朱霊(シュレイ)
生没年不明
字は文博。
魏の将。袁術討伐に向かう劉備に監軍として従うが、監視役を果たせずに帰陣。
正史では、曹操に嫌われていたとある。
甄姫(シンキ)
生没年不明
傾国の美女。肌は玉のごとく、美貌は花のごとし、と讃えられる。
袁紹の次男・袁煕の妻だったが、曹操が冀州を攻め落とした際に、真っ先に乗り込んだ息子の曹丕が見初めて妻にした。
辛眦(シンピ)
生没年不明
字は佐治。
魏の臣。辛評の弟。袁氏に仕えて袁譚を補佐し、袁氏滅亡後は曹操配下となる。
五丈原で諸葛亮と対峙中の魏軍に勅詔を届け、出撃にはやる将兵を抑えた。
荀ケ(ジュンイク)
163−212
字は文若。
魏の臣。「王佐の才」があると称された賢士。参謀として曹操の覇業を支えた。
曹操の魏公即位に反対し、憂悶の末に病死した。自殺したとの説もある。
荀攸(ジュンユウ)
157−214
字は公達。
曹操配下の臣。荀ケの甥。軍事面に長じ、戦場では多くの助言を行った。
赤壁の戦いには程cとともに参謀として従軍した。
徐晃(ジョコウ)
?−227
字は公明。
魏の将。楊奉配下だったが満寵に説得され曹操に帰順する。軍の主軸として各地を転戦した。
智勇に優れた将で、樊城で関羽軍に勝利した際、「孫武に匹敵する」と曹操から称えられた。魏の五将軍に数えられる。
曹安民(ソウアンミン)
?−197
魏の将。曹操が宛城に逗留した際、元の城主の妻である鄒氏を引き合わせる。
それがもとで夜襲に遭い、逃げきれずに殺された。
曹叡(ソウエイ)
205−239
字は元仲。
魏の第二代皇帝。司馬懿、曹真らを重用し、蜀・呉と戦う。
諸葛亮の死によって安心したのか、昨年は宮殿の造営を繰り返すなど奢侈に溺れ、魏を衰退させた。
曹休(ソウキュウ)
?−228
字は文烈。
魏の将。曹操の甥。弓の名手で、曹操の没後も曹丕、曹叡と歴任した。
対呉戦で周魴の計略にかかり、大敗を喫する。その心痛から病にかかって死亡した。
曹昴(ソウコウ)
?−197
字は子脩。
曹操の長男。宛城で張繍の夜襲に遭い敗勢の中、乗馬を失った曹操に、自分の馬を渡した。
これにより曹操は助かったが、自らは逃げきれずに戦死する。
曹洪(ソウコウ)
?−232
魏の将。曹操の従兄弟。曹仁とともに、曹操の挙兵に参じた。
魏軍の中核として各地を転戦し、活躍する。
曹丕の即位後は、衛将軍、驃騎将軍を歴任した。
曹彰(ソウショウ)
?−223
字は子文。
曹操の三男(母は卞氏)。武勇に優れ、素手で猛獣を倒したというほどの猛将。
「黄鬚児」の異名を持つ。漢中争奪戦で、敵軍に追われる父・曹操を救った。
曹真(ソウシン)
?−231
字は子丹。
魏の将。曹操の甥。曹丕に後事を託される。
大都督として蜀の北伐軍相手に戦うが、諸葛亮の策の前に連敗した。
さらに挑発の手紙を受け取り、憤死する。
曹仁(ソウジン)
168−223
字は子孝。
魏の将。曹操の従兄弟。武芸百般に通じ弓術、馬術を得意とした。
赤壁の戦いののちは荊州を守備する。曹丕の代には、魏の大司馬を務めた。
曹操(ソウソウ)
155−220
字は孟徳。
魏の王。「乱世の奸雄」と評される。兵法書を著するなど、文武に通じていた。
黄巾の乱に際し、討伐軍に参加して頭角を現す。
董卓の滅亡後、混乱する中原に着々と地盤を固め、大国・魏の礎を築き上げた。
曹丕(ソウヒ)
187−226
字は子桓。曹操の次男(母は卞氏)。
魏王を継ぐと、献帝に禅譲を強要して、帝位を奪い取った。
蜀・呉を攻めるも成果なく内政の充実を図った。
孫礼(ソンレイ)
生没年不明
字は徳達。
魏の将。大石山の巻狩りの際に、曹叡の前に踊り出た虎を斬り殺した功がある。
曹真、司馬懿の配下として対蜀戦で活躍した。
張郃(チョウコウ)
?−231
字は儁乂。
魏の将。袁紹配下であったが、郭図の讒言により窮地に陥り、曹操に帰順した。
主に蜀との戦いで活躍し、諸葛亮にも一目置かれる。街亭の戦いでは馬謖を包囲して撃破した。
魏の五将軍に数えられる。
張普(チョウフ)
生没年不明
魏の将。石亭で先鋒を命じられ呉の将・徐盛と対するが、かなわず引き下った。
のち南に伏兵したところで朱桓と出くわし、敵将と気づかぬまま斬れた。
張遼(チョウリョウ)
169−224
字は文遠。
魏の将。はじめ呂布配下の将として各地を転戦した。呂布の敗死後、曹操配下となる。
合肥を守備した際、わずか八百の兵で十万の呉軍を撃退し、泣く子も黙ると恐れられた。
魏の五将軍の筆頭に挙げられる。
程c(テイイク)
141−220
字は仲徳。
曹操配下の謀臣。もとの名は「立」。日輪を捧げ持つ夢を見たことから名を改めた。
身の丈八尺三寸の偉丈夫。苟ケの推挙で曹操に仕え、軍師として活躍する。
典韋(テンイ)
?−197
魏の将。いにしえの豪傑、「悪来」の異名を持つ怪力の巨漢。
曹操の護衛としてつねにその傍らにあった。
宛城で張繍の夜襲を受けた際、押し寄せる敵兵の前に立ちはだかり、命を懸けて曹操を逃がした。
ケ艾(トウガイ)
197〜264
字は士戴。
魏の将。司馬懿に才能を見いだされ、蜀攻略戦で活躍する。
鍾会と組んで蜀を滅ぼすが、のちに対立。鍾会の讒言によって捕らえられ護送の途中で暗殺された。
杜襲(トシュウ)
生没年不明
魏の将。夏侯淵に従い定軍山の西の山を守るが、黄忠に攻められて逃げ去った。
その後、夏侯淵も討たれたため、張郃と落ち延びる。
文聘(ブンペイ)
生没年不明
字は仲業。
劉表配下のち魏の将。劉jとともに曹操に降伏するが国を守れなかったのを恥じ出仕しなかった。
その態度を曹操に気に入られて江夏太守に任ぜられた。
龐徳(ホウトク)
?〜219
字は令明。
魏の将。馬超の配下だったが、曹操の漢中攻めで捕らえられ、配下となる。
樊城で関羽と戦うに及んで、柩を用意して出陣し、決意の固さと覚悟を示した。
満寵(マンチョウ)
?−242
字は伯寧。
魏の臣。楊奉の配下だった徐晃を説得し、曹操の配下に加えた。
樊城が関羽の軍に囲まれた際は、城を死守するよう曹仁に進言。関羽軍の撃退に成功する。
楊脩(ヨウシュウ)
186−219
字は徳祖。
魏の臣。後漢の大尉・楊彪の子。才はあったが曹操に疎まれた。
袁術の甥だからとも、曹植に入れ知恵したからとも言われている。
李典(リテン)
174−209
字は曼成。
曹操配下の武将。旗揚げの頃から曹操に従った歴戦の勇士。
学問好きで、性格は慎重かつ冷静、同僚の暴走を度々抑えた。張遼、楽進とともに合肥を守備する。




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