真・三國無双2攻略 武将辞典【他】 - ゲーム完全限界攻略メモ置場

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武将辞典【他】

真・三國無双2攻略 武将辞典【他】を掲載しています。

目次

阿会喃(アカイナン)
生没年不明
南蛮王・孟獲の配下の将。第三洞の帥。
孟獲の援軍として戦ったが捕らえられ、釈放される。
再び出陣した際に「恥を知らぬのか」と罵られ、軍を退いた。
于糜(ウビ)
生没年不明
揚州刺史・劉繇配下の将。攻め寄せた孫策と戦うが、三合もせずに生け捕らえられてしまう。
帰陣する孫策の脇に抱えられたまま怪力によって絞め殺された。
袁煕(エンキ)
?−207
字は顕奕。
袁紹の次男。幽州の刺史。曹操に敗れ、逃れてきた弟・袁尚を迎えるが、部下に背かれ烏丸に逃亡する。
のち遼東の公孫康を頼るが、首を斬られ曹操に送られた。
袁紹(エンショウ)
?−202
字は本初。
名門・袁家の出身。反董卓連合軍の盟主となる。董卓の死後、中原に覇を唱えるべく曹操と争った。
しかし大軍を擁して臨んだ官渡の戦いで、内紛に加え、食糧庫を襲われるなど、急所をつかれて大敗を喫した。
袁尚(エンショウ)
?−207
字は顕甫。
袁紹の三男。容姿に優れていたことから袁紹に寵愛された。袁紹死後、当主の座を巡り長兄の袁譚と争う。
のち曹操に敗れ、幽州刺史の次兄・袁煕を頼った。
袁術(エンジュツ)
?−199
字は公路。
後漢の南陽太守。袁紹の異母弟。孫策に兵士を貸す代わりに、玉璽を預かった。
これをもって、自ら皇帝を称するが、人徳がなく悪政を敷いたため滅亡した。
袁譚(エンタン)
?−205
字は顕思。
袁紹の長男。青州の刺史。袁紹の死後、勝手に後継に立った末子の袁尚と争うが敗れる。
曹操の援助を得て袁尚に勝ったものの、結局曹操に討たれてしまう。
王方(オウホウ)
生没年不明
董卓配下の将。董卓死後、長安に押し寄せてきた賊に内応して、城門を開いた。
のち、賊を討つべく攻め上ってきた馬超を迎え撃ち、一騎打ちして敗れる。
蒯良(カイリョウ)
生没年不明
字は子柔。
劉表配下の臣。蒯越の兄。劉表の補佐役として活躍した。
孫堅が攻め寄せた際、武将の呂公に策を授けて孫堅を待ち伏せ、石と矢で攻撃し、戦死させた。
何儀(カギ)
生没年不明
黄巾賊。黄巾の乱後、残党を率いて汝南を占拠していた。
当時義勇軍を組織していた許褚に捕まり、曹操の手によって処刑された。
賈詡(カク)
147−223
字は文和。
董卓、李傕と仕えたのち、張繍の参謀となる。的確な献策により曹操軍を幾度となく破った。
その後、張繍ともども曹操に帰順し、魏軍の策士として重用された。
郭(カクシ)
?−198
董卓配下の将。董卓死後、賈詡の進言で長安を急襲。
王允らを殺し、李傕とともに朝廷を牛耳った。のち、山賊となり、部下の伍習に殺された。
何進(カシン)
?−189
字は遂高。
妹が帝の皇后となったため外戚として出世。大将軍の位に就く。
宦官・十常侍の一掃を謀るが露見し、逆に謀殺された。
華雄(カユウ)
?−191
董卓配下の猛将。董卓軍の先鋒を務めた。水関では孫堅を破り、勢いに乗って攻め寄せるが、関羽に討ち取られた。
正史では、孫堅に敗れ、斬られている。
管亥(カンガイ)
生没年不明
黄巾賊の将。黄巾の乱後、残党数万で北海郡を襲う。
救援に駆けつけた劉備軍と合戦し、関羽と一騎打ちとなった。数十合に及ぶ力闘を演じるが戦死した。
韓荀(カンジュン)
生没年不明
袁紹配下の将。官渡の戦いで、街道を荒らして交通を遮断するべく西方へと派遣された。
しかし、曹操配下の曹仁に打ち破られる。
韓遂(カンスイ)
?−215
字は文約。
涼州の盟主。義兄弟の馬騰が曹操に討たれ、馬騰の子・馬超と挙兵する。
しかし離間の策にかかり、曹操に降伏しようとして、怒った馬超に左腕を斬られた。
韓忠(カンチュウ)
生没年不明
黄巾賊の将。孫仲、趙弘とともに宛城を占拠する。
朱儁、劉備ら黄巾討伐軍と戦うが、流れ矢に当たり戦死した。
韓猛(カンモウ)
生没年不明
袁紹配下の将。官渡の戦いのおり、陣地に兵糧を輸送するが、徐晃らに襲われて兵糧を焼き払われる。
帰陣後、怒った袁紹により雑兵に格下げされてしまう。
顔良(ガンリョウ)
?−200
袁紹配下の猛将。白馬の戦いで先鋒となり、宋憲、魏続を討ち取った。
続いて勇将・徐晃をも敗走させたが、当時曹操の幕下にいた関羽に一合で斬られた。
魏続(ギゾク)
?−200
呂布配下の将。候成、宋憲とともに呂布を裏切って曹操に降った。
白馬の戦いでは顔良相手に一騎打ちを挑むが、ただ一合で斬られた。
牛輔(ギュウホ)
生没年不明
董卓配下の将。董卓の娘婿で、董卓が殺害されると、その仇を討つため長安に向かった。
しかし、呂布には敵わないと見て逃げだし、途中で側近に殺された。
厳政(ゲンセイ)
生没年不明
黄巾賊。張宝配下の武将。朱儁ら官軍と劉備軍の攻勢を受け、陽城県の城に立て籠る。
落城必至と見切りをつけると、張宝を刺し殺し官軍に投降した。
厳白虎(ゲンハクコ)
生没年不明
呉郡の賊。「東呉の徳王」を自称する。孫策に討たれて会稽の王朝を頼るが、再び孫策の前に敗走。
落ち延びた先で董襲に殺され、首級を孫策に献上された。
厳与(ゲンヨ)
生没年不明
厳白虎の弟。厳白虎が孫策の討伐を受けたとき、和睦の使者となる。
交渉の席で江東の折半を提案するが、孫策に斬られた。
厳輿(ゲンヨ)
生没年不明
厳白虎の弟。厳白虎が孫策の討伐を受けたとき、和睦の使者となる。
交渉の席で江東の折半を提案するが、孫策に斬られた。
高昇(コウショウ)
生没年不明
黄巾賊。張宝の副将。曲陽の戦いに出陣する。
官軍の先鋒をしていた劉備は張飛を出陣させ、高昇は数合で突き落とされた。
高順(コウジュン)
?−198
呂布配下の将。呂布に従って各地を転戦した猛将で、「陥陣営」の異名を持つ。
呂布の敗北後、曹操の前に引き立てられるが、言い訳もせず潔く斬られた。
侯選(コウセン)
生没年不明
韓遂配下の「旗本八騎」の1人。
馬超とともに長安を攻め落とすが、離間の計にかかった馬超が斬り込んできたため逃走。無事に逃れて曹操に降った。
黄祖(コウソ)
?−208
劉表配下の将。江夏を守備するが孫堅軍に大敗した。
配下の甘寧を賊出身だからと冷遇し、呉に去られてしまう。のち呉の将となった甘寧に斬られた。
公孫瓚(コウソンサン)
?−199
字は伯珪。
後漢の北平太守。劉備とともに盧植に学んだ。
白馬で編成した精鋭部隊を率い、、「白馬将軍」と呼ばれる。
黄巾賊討伐に活躍するが、のち袁紹に敗れた。
高定(コウテイ)
生没年不明
越雋太守。雍闓らとともに反乱を起こしたが、諸葛亮の離間の策によって降伏。
のち蜀の臣となり、雍闓、朱褒を倒した功績により、益州の太守に任ぜられた。
皇甫嵩(コウホスウ)
?−195
字は義真。
後漢の臣。黄巾の乱では、張梁、張宝の軍を火攻めで破り、張角の墓を暴いて遺骸から首を挙げた。
一時は隠棲していたが、董卓死後朝廷に復帰する。
高覧(コウラン)
生没年不明
袁紹配下の将。官渡の戦いでは曹操軍の猛将・許褚を相手に戦う。
のちに同僚の張郃とともに曹操に帰順。汝南の劉備軍を攻め、劉辟を斬った。
胡車児(コシャジ)
生没年不明
張繍配下の勇士。異民族の出身で張繍軍随一の豪傑。
宛城で曹操を奇襲する際、護衛の典韋の戟を盗むよう進言し、自ら実行して襲撃を成功に導いた。
胡軫(コシン)
生没年不明
董卓配下の将。水関にて袁紹の率いる反董卓連合軍を迎え撃った。
華雄の副将を務め、五千の兵を率いて戦うが、孫堅配下の程普によって討ち取られた。
兀突骨(ゴツトツコツ)
生没年不明
烏戈国の国王。身の丈十二尺で体を鱗で覆われた大男。
刀も矢も通さない藤甲軍を率いて蜀軍を苦しめるが、諸葛亮の策略にかかって、盤蛇谷で焼き殺された。
蔡瑁(サイボウ)
生没年不明
劉表配下の将。荊州の豪族の出。劉表の後妻・蔡夫人の弟。
劉jを後継者にするため、邪魔な劉備の暗殺を企てるが失敗に終わった。水軍の指揮に秀でる。
周マ(シュウキン)
生没年不明
字は大明。
会稽太守・王朗配下の将。孫策軍の太史慈と戦う王朗に加勢するが、背後を突かれ城内に逃げ込む。
客将・厳白虎と追撃に出るが、罠にかかって斬られた。
祝融(シュクユウ)
生没年不明
南蛮の王・孟獲の妻。伝説の火の神・祝融の子孫。気が強く、武勇に優れ、飛刀を得意とする。
孟獲に代わって出陣し、張嶷・馬忠を生け捕ったが、魏延・馬岱に捕らえられ、人質交換で自陣に帰してもらった。
朱儁(シュシュン)
?−195
字は公偉。
後漢の将。黄巾の乱に際して、劉備、孫堅とともに黄巾賊を討伐する。この功績で車騎将軍に任ぜられた。
董卓の死後、李傕、郭とともに朝政にあたる。
朱儁(シュホウ)
生没年不明
牂牁太守。建寧太守・雍闓が孟獲と手を組んで反乱を起こすと、高定とともに参加した。
諸葛亮の離間の策により高定に殺される。
淳于瓊(ジュンウケイ)
?−200
袁紹配下の将。もとは袁紹や曹操と同じ西園八校尉の1人。
官渡の戦いで兵糧庫の烏巣を守るが、酒に溺れて曹操の焼き討ちを受け、怒った袁紹に殺された。
荀ェ(ジュンシン)
生没年不明
冀州の刺史。韓馥を高幹とともに説得し、冀州を袁紹に譲らせた。のち袁紹配下となる。
袁紹の曹操討伐に賛同し、従軍した。正史では荀ケの弟とある。
徐栄(ジョエイ)
生没年不明
董卓配下の将。長安へ遷都の途中、伏兵となって曹操軍を襲撃し、敗走する曹操の肩を射当てた。
しかし、救援に現れた夏侯惇の手にかかって倒される。
女媧(ジョカ)
生没年不明
古代の帝王。三皇の1人で人面蛇身と言われる伝説の存在。黄土をこねて人間を創り出した。
また、天柱が欠けたときには五色の石を練って補った。同じ三皇である伏犠を夫とする。なお三国志には登場しない。
鄒靖(スウセイ)
生没年不明
後漢の臣。
黄巾賊に対抗するため、義勇兵を募集するよう幽州太守・劉焉に進言する。
募集に応じた劉備らを率いて討伐に活躍した。
成宜(セイギ)
生没年不明
韓遂配下の「旗本八騎」の1人。
馬超とともに長安を攻め落とすが、空の敵陣におびき寄せられて囲まれ、夏侯淵に斬り殺された。
宋憲(ソウケン)
生没年不明
呂布配下の将。同僚の候成がささいな事から棒罰を受けたのを見て、候成、魏続とともに曹操に投降した。
のちに袁紹軍との戦いで、猛将・顔良に斬られた。
沮授(ソジュ)
生没年不明
袁紹配下の臣。曹操討伐をたびたび諌めるが聞き入れられず、投獄される。
袁紹が敗れたのち、曹操に投降を勧められるが拒み、脱走しようとして殺された。
孫仲(ソンチュウ)
生没年不明
黄巾賊の将。韓忠、趙弘とともに宛城を占拠する。
朱儁、劉備ら討伐軍と戦い、敗れて逃げるところを劉備に射られ、落馬した。
帯来洞主(タイライドウシュ)
生没年不明
孟獲の妻・祝融夫人の弟。
蜀軍相手に敗戦続きの孟獲に、木鹿大王、兀突骨らを紹介。加勢してもらうよう進言した。
朶思大王(ダシダイオウ)
生没年不明
南蛮禿龍洞の元帥。孟獲の弟・孟優の友人で、南蛮一の智者と称された。
劣勢の孟獲を助け、禿龍洞の四つの毒泉で諸葛亮に対する。
張英(チョウエイ)
生没年不明
揚州刺史・劉繇配下の将。孫策に攻められた際、一隊で牛渚の地を守ってみせると豪語するが敗れる。
のち秣陵で孫策配下の将・陳武に突き殺された。
張角(チョウカク)
?−184
鉅鹿郡の在野の士。太平道の教祖として民衆に教えを広める。世の乱れに乗じて広く民衆の支持を集めた。
黄巾党を結成して漢王室に敵対、「天公将軍」を自称し、黄巾の乱を起こした。
張虎(チョウコ)
生没年不明
劉表配下の将。江夏の大将で、荊州の劉表と呉の孫堅が戦ったとき、劉表配下の黄祖に従った。
孫堅配下の韓当と一騎討ちし、三十余合の末、倒された。
趙弘(チョウコウ)
生没年不明
黄巾賊の将。韓忠、孫仲とともに兵を率いて宛城を支配する。
朱儁ら討伐軍相手に戦うが、加勢に来た孫堅に馬から落とされ、戦死。
張済(チョウサイ)
?−196
董卓配下の将。車騎将軍。張繍の叔父。傾国の美女・鄒氏を妻とした。
兵糧不足のために劉表を攻めるが、流れ矢に当たり戦死した。
張繍(チョウシュウ)
?−207
張済の甥。張済の死後、軍を率いて劉表に協力した。
一時は曹操に降るが、叔父の妻を奪われたことで反旗を翻す。
のち、賈詡の進言に従って曹操に帰順した。
趙岑(チョウシン)
生没年不明
董卓配下の将。華雄に従って、袁紹らの連合軍を迎え撃った。
董卓が洛陽を放棄して長安に遷都しようとすると、その動きに合わせて水関を明け渡した。
張任(チョウジン)
?〜214
劉璋配下の将。落鳳坡で、劉備の軍師・龐統を射殺した。
敗北して捕らわれたが「忠臣は二君に仕えず」として、劉備の説得に応じず潔く斬首された。
貂蝉(チョウセン)
生没年不明
舞姫。絶世の美女で、歌舞に優れていた。司徒・王允のもとで実の娘同然に育てられる。
董卓の専横を憂う王允のため、董卓と呂布に近づいて、「連環の計」を仕掛け、見事に二人の仲を裂くことに成功する。
張超(チョウチョウ)
生没年不明
広陵の太守。曹操の檄に応じて反董卓の連合軍に参加した。
兄の張邈に、呂布の軍師であった陳宮を引見。連係が成立したため、曹操攻められて自尽した。
張宝(チョウホウ)
?−184
張角の弟。張角とともに漢王室に対し挙兵、黄巾の乱を起こす。
「地公将軍」を自称し、兄譲りの妖術で反乱を指揮するが、部下の厳政に刺し殺された。
張曼成(チョウマンセイ)
生没年不明
黄巾賊の将。太平道の教祖である張角に応じて蜂起。黄巾の乱を起こした。
皇甫嵩、朱儁ら朝廷の討伐軍を南陽の地に迎え撃つ。
張梁(チョウリョウ)
?−184
張角、張宝の弟。兄とともに漢王室に対して挙兵し、黄巾の乱を起こす。
「人公将軍」を自称し、張角死後も反乱を指導するが、官軍に敗れて曲陽で戦死した。
陳横(チンオウ)
生没年不明
揚州刺史・劉繇配下の将。薛礼、張英とともに秣陵を守備する。
討って出たのを伏兵に攻められ、孫策配下の将・蒋欽に射殺された。
陳生(チンセイ)
生没年不明
劉表配下の将。襄陽の大将で、荊州の劉表と呉の孫堅が戦ったとき、劉表配下の黄祖に従った。
張虎の加勢に出たところ、孫堅の子・孫策の矢に倒れた。
程遠志(テイエンシ)
生没年不明
黄巾賊の将。反乱軍の兵を率い、幽州を襲う。
大興山麓で劉備の率いる義勇軍と合戦になり、初陣の関羽にただ一合で斬られた。
程銀(テイギン)
生没年不明
韓遂配下の「旗本八騎」の1人。馬超軍とともに長安を陥落させた。
のちに渭南で曹操軍と戦うが、同僚の張横らとともに戦死した。
ケ賢(トウケン)
生没年不明
劉璋配下の将。劉璋の側近として劉備に注意するよう諌める。
龐統の命令で魏延が剣舞に見せかて劉璋を斬ろうとしたが、張任らとともに躍り出て防いだ。
董卓(トウタク)
?−192
字は仲穎。
西涼で太守をしていたが、何進の召集に応じて上洛。混乱に乗じ幼い帝を擁し政権を握った。
猛将・呂布を養子にし、武力を背景に少帝廃立、長安遷都などの横暴を極めるが、呂布の手にかかって最期を遂げた。
董茶那(トウトナ)
生没年不明
南蛮王・孟獲の配下の将。第二洞の帥。
阿会喃らとともに孟獲の援軍に加わるが捕らえられ、諸葛亮により釈放される。のちに孟獲と対立し、殺された。
ケ茂(トウモ)
生没年不明
黄巾賊の将。程遠志の副将として、ともに幽州を襲うが、義勇軍に加わっていた張飛に、ただ一合で倒された。
張飛の得物である蛇矛の最初の犠牲者。
裴元紹(ハイゲンショウ)
生没年不明
黄巾賊の将。黄巾の乱後、山賊の頭をしていた。
関羽の赤兎馬を奪い取ろうとするが、相手が関羽と知って帰順。仲間の周倉を関羽に紹介した。
波才(ハサイ)
生没年不明
黄巾賊の将。太平道の教祖である張角に応じて蜂起。黄巾の乱を起こした。
皇甫嵩、朱儁ら朝廷の討伐軍を河南の地に迎え撃つ。
樊稠(ハンチュウ)
生没年不明
董卓配下の将。董卓死後、攻めてきた馬騰、韓遂の軍を破って、追撃した。
同郷のよしみで韓遂を見逃したため、謀反の罪で李傕に斬られた。
樊能(ハンノウ)
生没年不明
揚州刺史・劉繇配下の将。仲間の于糜を捕らえた孫策の後を追うが、
槍で突こうとしたところ、振り向いた孫策の大喝を浴び、落馬して死んだ。
馬元義(バゲンキ)
生没年不明
黄巾賊の将。張角の命令で宦官に手を回し、決起の際には内応するよう手はずを整える。
しかし仲間の裏切りで、大将軍・何進の軍に捕らわれて斬首された。
伏犠(フッキ)
生没年不明
古代の帝王。三皇の1人で人面蛇身と言われる伝説の存在。
易の基となる八赴を作って人事の吉凶を占い、文字を発明して人々に文化をもたらした。
同じ三皇である女媧を妻とする。なお三国志には登場しない。
文醜(ブンシュウ)
?−200
袁紹配下の猛将。同僚・顔良の仇を討たんとして延津に出陣、曹操軍の襲撃に対し奮戦する。
張遼、徐晃の二将を退ける活躍を見せたが、関羽に倒された。
木鹿大王(ボクロクダイオウ)
生没年不明
南蛮八納洞の洞主。法術を使って風雨を呼び起こし、猛獣を従え、自らは巨象に跨って出陣して蜀軍を脅かした。
しかし、諸葛亮に術を破られ、戦死する。
孟獲(モウカク)
生没年不明
南蛮の王。蜀の南方の地を支配していたが、蜀に対し反乱を起こす。
遠征に来た諸葛亮を相手に戦ったが、その軍略には敵わず、七度捕らえられ七度放される。
ついには諸葛亮に心服し、蜀への帰順を誓った。
孟節(モウセツ)
生没年不明
南蛮王・孟獲の兄。万安渓という淵で「万安隠者」と称して暮らしていた。
山の神に導かれてきた諸葛亮を迎え、毒泉に冒された兵士らの治癒に協力する。
孟優(モウユウ)
生没年不明
南蛮王・孟獲の弟。諸葛亮の南征軍に敗れた兄に朶思大王を紹介し、蜀軍に対抗するよう進言する。
しかし兄ともども諸葛亮に捕らえられ、蜀に帰順した。
雍闓(ヨウガイ)
生没年不明
建寧太守。孟獲と手を組み蜀に対し反乱を起こした。
諸葛亮の離間の策で、越雋太守の高定と仲たがいし、高定配下の鄂煥に殺されて反乱は平定された。
楊秋(ヨウシュウ)
生没年不明
韓遂配下で「旗本八騎」の1人。
曹操への和睦の使者であったが、韓遂が馬超と不和になったため、投降の使者として再び曹操のもとに赴いた。
李傕(リカク)
?−198
字は稚然。
董卓配下の将。董卓死後、郭らと王允を殺し、献帝を擁して政権を握る。
のち郭とも争う羽目になり、自滅の道をたどった。
李堪(リカン)
生没年不明
韓遂配下の「旗本八騎」の1人。
離間の策にかかった馬超が、韓遂の陣営に斬り込んできたため逃走。
馬超を狙った于禁の矢が当たり落馬して死亡した。
李儒(リジュ)
生没年不明
董卓配下の謀臣。董卓の娘婿。数多くの策を進言し、悪政をもたらした。
貂蝉らの「連環の計」を見抜くが諌めきれず、董卓の暗殺後に同罪として処刑された。
李蒙(リモウ)
生没年不明
董卓配下の将。董卓死後、王方とともに長安の城門を開き、賊の入城を助けた。
のち、賊を討つべく攻め上がってきた馬超に捕らえられ斬首される。
劉延(リュウエン)
生没年不明
東群の太守。袁紹の配下・顔良が白馬の地に進軍した際、曹操に急を報告する。
のち曹操のもとを去る関羽を迎え、船を貸してくれるよう頼まれるが断った。
劉焉(リュウエン)
?−194
字は君朗。
後漢の益州牧。漢王朝の家系で劉備を義理の甥として扱う。
「天子の気がある」という巴蜀の地に赴任し、独自の勢力を築き上げた。
劉璝(リュウカイ)
生没年不明
劉璋配下の将。成都に侵攻しようとする劉備軍に立ち向かうが、攻め込まれる。
城を固め抵抗しようとするも、味方の張翼に斬られ、開城されてしまった。
劉g(リュウキ)
?−209
劉表の長男。弟・劉jを後継者にしようとする義母・蔡夫人に命を狙われるが、
諸葛亮の助言によって江夏守備に就き、難を逃れた。のちに荊州の刺史となる。
劉璋(リュウショウ)
?−219
字は季王。
後漢の益州牧。劉焉の子。張魯の侵攻に備えるべく、荊州の劉備を迎え入れる。
しかし有能な君主を求める家臣の手引きにより、劉備軍は成都に侵攻を許し、戦力を残しながらも降伏した。
劉循(リュウジュン)
生没年不明
劉璋の長男。劉備軍が成都に攻め寄せたとき父・劉璋に願い出て迎撃に向かい、敗れた。
正史では、一年にわたり劉備軍本隊の攻撃を防いだという。
劉表(リュウヒョウ)
142−208
字は景升。
荊州の刺史。名士の代名詞「江夏の八俊」の1人。中原の混乱をよそに、荊州を安定に導いた。
優柔不断な性格から大陸統一の好機をたびたび見過ごす。
劉繇(リュウヨウ)
生没年不明
字は正礼。
揚州の刺史。同郷の勇将・太史慈を配下にするものの使いこなせなかった。
孫策に攻められて敗北し、予章へと落ち延びていった。
呂威曠(リョイコウ)
生没年不明
袁紹配下の将。兵糧基地の烏巣を守備した。
しかし、大将の淳于瓊が酒宴ばかりしていたため、曹操の襲撃を受けて兵糧を焼き払われてしまう。
呂公(リョコウ)
生没年不明
劉表配下の将。劉表が孫堅軍に囲まれたため、袁紹に加勢を求める使者に立つ。
その際、蒯良の策で伏兵を忍ばせて孫堅を誘い込み、石と矢で討ち果たした。
呂布(リョフ)
?−198
字は奉先。
武芸を極め弓馬に優れた猛将。「人中の呂布、馬中の赤兎」と称される。
一日に千里を走るという赤兎馬を駆って、得物の方天画戟を振るった。
義父の丁原を斬って董卓配下となるが、その董卓をも裏切った。
冷苞(レイホウ)
生没年不明
劉璋配下の将。ケ賢と共同して劉備軍の黄忠、魏延と戦う。
一度は捕らえられるが、投降するふりをして逃げたため、再び捕らえられたときに処刑された。
盧植(ロショク)
?−192
字は子幹。
若き日の劉備の帥。黄巾の乱で中朗将に任命されて出陣し、張角軍を連破した。
一時、宦官の讒言によって流刑となるが、のち無実が証明されて復職を果たす。




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