1章 赤壁逃亡戦(曹操軍シナリオ) |
【初期】 |
自分は曹仁。字を子考という者だ。
自分の敵は乱世のみ。
戦乱の災禍より、人とこの大地を守るため、あえて戦場に立っている。
今、我々曹操軍は、この赤壁にて大敗を喫し、撤退を余儀なくされている。
我らの過分な自負が招いた結果か・・・深く心に留めて置かねばな。
されど、我が主・曹操殿が捕らえられれば、世の混迷はますます深まろう。
一日も早く乱世を終えるため、殿の御身は自分が守る! |
【概況/初期】 |
曹操
くっ・・・・・・劉備、そして孫権め。、この赤壁での戦でわしを打ち負かすとはな・・・・・・。
貴様らになめさせられた苦杯、決して忘れはせんぞ!
とにもかくにも、この逆境を打開せねばな。今は無事に逃げることだけを考えよ。
曹仁、追っ手を退け、わしの退路を開くのだ。
この赤壁の炎から、わしは再びよみがえる。
我が覇道を成し遂げ、次の時代を築くまで、わしの命運、断たれるわけにはいかんのだ! |
【戦況】 |
赤壁の戦いに敗れた曹操は、都への撤退を余儀なくされた。 この機を孫権・劉備の連合軍が逃がすわけがない。 連合軍の追撃を振り切り、曹操を無事に逃がすことができるか。 曹操を逃がすため、戦場の各所で配下たちが力戦することになる。 彼らを助けて、曹操の脱出をより確実なものにしたい。 もちろん、曹操の護衛も疎かにしてはならない。 |
【クリア後/評定】 |
曹操
くっ・・・辛くも逃げ切れたか。 わしの油断から始まった戦だが・・・・・・今は命があることを喜ぶべきだな。皆もよく逃げ延びた。
この雪辱は果たさねばならん。 速やかに国力回復に努め、劉備と孫権を叩き潰す。 わしを怒らせたこと思い知らせてくれるわ! |
2章 合肥の戦い(魏軍シナリオ) |
【初期】 |
赤壁の難を逃れた殿は、すぐさま敗戦で失われた国力の回復に努めた。
殿の迅速な対応は、劉備、孫権らにつけいる隙を与えなかった。
結果、この乱世は殿と劉備、孫権が並び立つ様相となった。
群雄割拠から三国の鼎立へ。時代は確かな動きを見せたのだ。
乱世を正すため、あえて覇道へと踏み出した殿。
その戦いは、かの者らを討てば終わろう。
この曹子考、今しばらく戦の鬼とならん! |
【概況/初期】 |
曹仁、赤壁からの辛く厳しい帰路をよく戦い抜いてくれた。
今わしがここにあるのはお前の働きあってこそ。改めて礼を言うぞ。
これよりお前には、合肥の地で孫呉の軍を迎撃してもらう。
かの地の守りは手薄。わしも急ぎ向かうが、それまで鉄壁の守りで耐えよ。
あの地には打ち捨てられた拠点が点在する。
それらを活用し、敵陣に楔を打ち込むように進軍せよ。
この苦境、見事跳ね返すのだ! |
【戦況】 |
孫権率いる呉軍が手薄な合肥を狙ってきた。味方の兵は少なく、まもとに当たっては勝ち目はない。 援軍が来るまでの間、合肥城を中心に耐えきることができるか。 敵の勢いを止めるのが先決。各所に配置されている中立拠点を占拠して、時間を稼ぐのだ。 呉軍の侵攻を、うまく食い止めることができれば、反撃の機会が訪れるはず。 |
【クリア後/評定】 |
曹操
少ない兵で大敵に勝つ、これぞ兵法の妙味よ。 孫呉は勝てる戦を落として消沈しているはず。 当分の間は動けぬであろうな。
さて、気になるのは劉備だが・・・・・・。 まあ、今は、捨て置くほかあるまい。 まずはこの戦での損害を早急に回復せねばな。 |
3章 樊城の戦い(魏軍シナリオ) |
【初期】 |
合肥での戦は魏軍の勝利で幕を閉じた。
だが、魏、呉、蜀が三つ巴となって繰り広げられる争いは、いまだ終わらぬ。
そんな中、自分の守るこの荊州に、蜀の関羽が侵攻してきた。
関羽は軍神と称されるほどの将、苦戦は必至であろう。
殿からお預かりしているこの樊城と将兵たちの命、損なうわけにはいかない。
いざ参る!自分の武、守護するためにこそあり! |
【概況/初期】 |
司馬懿
この樊城の戦では、曹仁殿が総大将となる。
おのおの大功を立てて、遠き都、許昌におられる殿のご期待に応えていただきたい。
敵の総大将は関羽。奴はここしばらくの雨を利用した攻めを展開してこよう。
まずは守りに徹して機をうかがうが上策だ。
曹仁殿、あなたはこの樊城の支柱。
その鉄壁の武と揺るがぬ武人の心で、将兵らを鼓舞し、この戦に勝利をもたらしていただきたい。 |
【戦況】 |
蜀の関羽軍が、樊城に殺到しつつある。樊城が落ちると、荊州の覇権は蜀のものとなる。 樊城を守り通し、なおかつ関羽を討つ。この難題を見事、解決できるか。 樊城の死守が第一となる。敵軍の動きに警戒しつつ、耐え抜くのだ。 援軍が到着すれば、攻勢に出る機会も訪れよう。援軍と共に攻め立てて、関羽を討つのだ。 |
【クリア後/評定】 |
曹仁
皆の助力によって、樊城を守りきることができた・・・・・・。 それにしても、関羽の最期、敵ながら見事であったな。
此度は呉の援護ももあったが、いずれは、かの国とも決着をつけることになろう。 混迷はいまだ続き、乱世もまた続くか・・・・・・。 |
4章 陳倉の戦い(魏軍シナリオ) |
【初期】 |
樊城の戦いに勝利した自分を持っていたのは、我が殿、曹孟徳の死であった・・・。
殿・・・・・・乱世の終わり、あなたに捧げたかった・・・。
悲しみの中、我らは曹丕殿を主として戴き、新たな一歩を踏み出した。
乱世を討つまで、自分の戦いも終わらない。
次なる戦いの地は、曹魏の領土である陳倉。かの地にある城にて、攻め来る蜀を迎え撃つ。
この曹子考、曹魏を守る盾とならん! |
【概況/初期】 |
司馬懿
曹仁殿、先の見事な勝利、後の戦の手本となりましょう。
ですが、蜀はいまだに抵抗し、陳倉道より攻め寄せようとしております。
陳倉は曹魏の要衝。かの地には我が軍の技術を結集した出城が築いてあります。
この機会に、曹魏の技術を試すとしましょう。
曹仁殿には、東門の守備についていただく。
また、機を見て城外に展開する敵兵器を破壊していただきたい。頼みましたぞ。 |
【戦況】 |
陳倉城が蜀軍に狙われている。陳倉城を失えば魏の長安は風前の灯火。 敵の攻城兵器を破壊し、味方の守城兵器をうまく使って、蜀軍を追い払うのだ。 当分の間は、陳倉城の防衛に専念することになる。味方部将同士、しっかりと連携して守り抜きたい。 敵の攻城兵器の供給を断てればよいのだが・・・・・・。 |
【クリア後/評定】 |
司馬懿
フハハハ。人による戦いも、兵器による戦いも、我が軍のほうが上手だ。 蜀軍はこれで二度と陳倉城には近寄らぬであろう。
弱りきった蜀を攻めるか、漁夫の利を狙う呉を潰すか、次の一手が重要となる。 どちらにせよ、結果は見えているがな。 |
最終章 五丈原の戦い(魏軍シナリオ) |
【初期】 |
乱世の終わりは近い。
自分たちが陳倉にて蜀を撃退した直後、本隊が合肥の地にて孫呉を討ち滅ぼしたとの報が入った。
後は五丈原へと攻めてきた蜀を討つのみ。
敵はなにやら攻め急いでいる様子。
だが、自分は心を平静に保ち、己が役割を果たすまで。
あまりに長い戦いであった・・・・・・。だが、この戦にて、乱世を葬り去る。
続く豊穰なる未来を勝ち取るために・・・・・・曹子考、参る! |
【概況/初期】 |
司馬懿
蜀・・・・・・いや、諸葛亮め。何を焦り、急いでいるのか・・・・・・。
陳倉での敗北に懲りず、今度は総力をかけ、五丈原に攻め入るとは・・・・・・。
もしや、奴の今の命は・・・・・・!ならば今こそ蜀を討つまたとない好機。
本陣とその周辺の守りを固め、ただ敵の自壊を待つのみだ。
曹仁殿は我ら曹魏が誇る守護の盾。
あなたならば蜀の決死の猛攻を防ぎきることができましょう。
今こそ乱世に幕を! |
【戦況】 |
魏と蜀の命運を懸けた決戦である。敵の軍師、諸葛亮は速戦による戦の決着を望んでいた。 これを看破した司馬懿は、猛攻に耐え、持久戦に持ち込む作戦を取る。 蜀軍の攻勢は凄まじく、しばらくは防戦一方となるだろう。攻めをいなしつつ、敵の弱点を見定めたい。 やがて訪れる総力戦に備えて、急所を衝き、敵を少しでも弱らせておくのだ。 |
【クリア後/評定】 |
司馬懿
諸葛亮がついに逝ったか・・・・・・。
曹仁殿、あなたの修羅のごとき活躍、見事であった。
乱世を忌み嫌う力がそうさせたのでしょうな。
安心なされよ。この五丈原の戦いにて、天下の大勢は決まった。
あなたの望む平和な世は、すぐそこまで来ている。 |
【エンディング】 |
時は紀元2世紀末。
漢王朝の権威は地に堕ち、中国大陸は群雄割拠する戦乱の世を迎える。
自ら覇道を歩む者、大義を為そうとする者、信じる者のために戦う者、
数多の英傑が乱世に名乗りを上げ、そして消えていった・・・。
字は子考。沛国譙県の人。
曹操の従弟。若い頃は粗暴で、武芸や狩猟を好んだが、
乱世に遭遇して心を改め、天下を平穏に導くために力を尽くすことを誓う。
曹操の挙兵に応じて陣営に加わると、曹仁は大軍の指揮に優れた才能を発揮した。
曹操も曹仁の武を認め、主要な戦いには必ず従軍させて重要な任務にあたらせた。
赤壁の戦いで曹操軍が敗れたときは、孫呉の追撃軍と死闘を繰り広げ、見事に曹操を退却させる。
曹仁の勇気に感服した曹操は、曹仁に対する信頼をますます深めた。
征南将軍に任じられて樊城に赴いた曹仁は、間もなく関羽の攻撃を受けた。
城が包囲されて孤立すると、弱気になる将兵を必至に鼓舞して、援軍の来着まで樊城を守りぬいた。
曹操が病に倒れ、曹丕が魏王の座を継いでも曹仁は歴戦の宿将として重用された。
蜀漢との決戦では、敵の連弩をものともせず果敢に進撃して曹魏の勝利に大きく貢献した。
曹仁の武勇は、ついに乱世を終結に導いた。
曹丕は魏の皇帝となり天下の頂点に立ったが、
曹仁に対しては敬意をもって接し、曹仁こそ武人の手本と大いに称えたという。
この伝記は、後世まで語り継がれ、悠久のときを経た今では、無双の英傑として神のごとく称えられている。 |