真・三國無双4攻略 武将辞典【呉】 - ゲーム完全限界攻略メモ置場

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武将辞典【呉】

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目次

韓当(カントウ)
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字は義公。
呉の将。孫氏三代に仕えた古参の武将。赤壁の戦い、関羽討伐戦、夷陵の戦いと多くの戦いに参陣して、呉水軍の一翼を担った。
赤壁では、矢を受け河に落ちた黄蓋を助けている。
甘寧(カンネイ)
?−222
字は興覇。
呉の将。水賊出身で、腰に鈴を付け、無頼の徒を引き連れて、のし歩いていた。
劉表、黄祖と従うが、重用されず、呉に身を寄せる。周瑜や呂蒙の推挙によって孫権に引き立てられ、のち赤壁や対魏戦で活躍した。
黄蓋(コウガイ)
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字は公覆。
呉の将。孫堅挙兵時以来の宿将。鉄鞭の使い手。赤壁の戦いでは周瑜と協力して「苦肉の計」を実行する。
自らを周瑜に棒打ちさせた黄蓋は、曹操に投降すると見せかけて魏の船団に火を放ち、呉を勝利に導いた。
周泰(シュウタイ)
?−225
字は幼平。
呉の武将。もとは海賊だが孫策に帰順する。のち孫権に仕え、山賊に攻められた際に多数の傷を負いながら孫権を救った。
合肥の戦いでも身を盾にして乱戦の中から孫権を救い出す。その献身の働きに、孫権は酒宴を開いて厚くねぎらった。
周魴(シュウホウ)
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字は子魚。
呉の臣。八陽の太守。魏の曹休に偽って降伏し、髪を切って信用させる。
曹休軍を石亭まで案内して行方をくらまし、待ち伏せていた呉軍は大勝を収めた。
周瑜(シュウユ)
175−210
字は公瑾。
呉の将。主君・孫策とは、義兄弟。孫策の遺言により若き孫権の補佐役となる。
赤壁の戦いでは都督として水軍を指揮し、曹操の大軍を破る。粋人で、容姿端麗だったことから「美周郎」の異名をとった。
朱桓(シュカン)
177−238
字は休穆。
呉の将。対魏の防衛拠点である濡須の守備を担った。
石亭では、周魴の策にかかっておびき出された曹休軍を打ち破り、魏の将・張普を斬るなどの活躍をした。
朱然(シュゼン)
182−249
字は義封。
呉の将。夷陵の戦いで水軍を率いた。
陸遜の火攻めで敗走する劉備を追ったが、救援にかけつけた趙雲の軍勢に行く手を阻まれ、劉備を取り逃した。
朱治(シュチ)
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字は君理。
呉の将。孫氏三代に仕えた宿将。孫策に、袁術から兵を借りて独立するよう進言する。
のち呉郡太守に任ぜられ、赤壁の戦いでは四方巡警使を務めた。
小喬(ショウキョウ)
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橋玄の娘。呉の周瑜の妻となる。姉の大喬とともに、「二喬」と称された美女。
曹操が二喬を狙っていると諸葛亮に聞かされた周瑜は孫権に交戦論を主張して、赤壁の大戦に至った。
蒋欽(ショウキン)
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字は公奕。
呉の将。周泰とともに、名高い孫策の配下となった。
南郡侵攻では先鋒を務めるが、大敗して処刑されそうになる。関羽討伐戦で水軍を率いて関羽を包囲した。
諸葛恪(ショカツカク)
203−253
字は元遜。
諸葛瑾の長男。父に劣らず聡明で、孫権に重用される。陸遜の死後、呉の大傅となり、全権を掌握。
攻め寄せた魏軍を迎撃し圧勝したが、のち蜀の姜維と共同で魏を攻めて失敗する。
敗戦後、専横が過ぎたため、一族もろとも誅された。
諸葛瑾(ショカツキン)
174−241
字は子瑜。
呉の臣。諸葛亮の兄。魯粛の推挙で出仕する。
度量が広く温厚な性格で孫権から深く信頼された。蜀と呉の関係の円滑化に務めた。
徐盛(ジョセイ)
?−?
字は文嚮。
呉の将。赤壁、合肥攻略、荊州攻略などに従軍した。
曹丕が呉を攻めた際には、軍を率いて迎え撃ち、偽の城や城壁で魏軍を退けた。
全j(ゼンソウ)
?−249
呉の将。山越討伐で大功を挙げる。
周魴の偽りの投降でおびき寄せた魏軍を討つため、陸遜とともに出陣。魏の薛喬を破った。
孫堅(ソンケン)
156−192
字は文台。
孫子の末裔とされる英傑。海賊退治して名を成した。黄巾討伐で活躍し、長沙の太守となる。
反董卓連合軍では先鋒を務め、洛陽への一番乗りを果たす。その後井戸から伝国の玉璽を発見し、本国に持ち帰った。
孫権(ソンケン)
182−252
字は仲謀。
呉の初代皇帝。孫堅の次男で孫策の弟。孫策の急死により、後を継ぐ。
孫策から自分が攻めに勝るのに対し守りに勝る、と評される。
赤壁の戦いでは、曹操との交戦を決断し、大軍を相手に勝利を果たした。
孫策(ソンサク)
175−200
字は伯符。
孫堅の長男。孫堅の死後、袁術のもとに身を寄せる。のち、袁術から三千の兵を借りて挙兵。
短期間に江東一帯を平定し「小覇王」と呼ばれた。幼なじみの周瑜をはじめ、優秀な人材を集めて呉の基盤を築いた。
孫韶(ソンショウ)
?−?
字は公礼。
孫堅が兪家から取った養子で、孫桓の従兄弟。魏軍を迎撃する際、徐盛と対立し独自に兵を動かして魏軍を混乱させる。
丁奉らの助けもあって、大勝を収めた。
孫尚香(ソンショウコウ)
?−?
孫一族の娘。孫策・孫権の妹にあたる。男勝りな性格で、幼少のころから武芸を好んだ。
のちに劉備の妻となるが、彼女の部屋の前には、武装した侍女がつねに控えていたという。
大喬(ダイキョウ)
?−?
橋玄の娘。呉の孫策の妻となる。妹の小喬とともに、天下の美女として知られ、「二喬」と称される。
その美しさは、月も光を消し花も恥じらう、と例えられるほどだった。
太史慈(タイシジ)
166−206
字は子義。
呉の将。義理厚く、かつて母が世話になった恩を返すために、北海太守・孔融の危機を救った。
のち劉繇に仕え、孫策と一騎打ちして互角に戦う。やがて劉繇が孫策に敗れ、降伏したのち孫策に帰順した。
張承(チョウショウ)
?−?
呉の将。蜀の諸葛亮が第五次北伐を敢行すると、それに呼応して魏を攻めるべく孫韶とともに進撃するよう孫権から命じられた。
陳武(チンブ)
?−215
字は子烈。
呉の将。孫策の代から仕え、赤壁の戦いにも参加。孫権の妹が劉備と結婚した際は、呉から脱出を図る劉備を取り逃してしまう。
のち濡須で魏軍と戦い、龐徳と一騎打ちになるが、武運つたなく斬られた。
程普(テイフ)
?−?
字は徳謀。
呉の将。鉄脊蛇矛の使い手で、孫氏三代に仕えた歴戦の士。諸将から「程公」と慕われた。
赤壁の戦いでは副都督を務めて、正都督の周瑜に協力し、曹操の軍を江上で撃破した。
丁奉(テイホウ)
?−271
字は承淵。
呉の将。孫権の代に召し抱えられた。戦場で功を重ね魏の名将・張遼を破るなどの活躍をする。
七十年もの長きにわたって呉に仕え、大将軍の位にまで昇った。
董襲(トウシュウ)
?−?
呉の将。孫策に虞翻の知人であった名医・華佗を紹介した。
濡須防衛戦では善戦するが、烈風のため乗船が転覆し溺死。そののち孫権は屍を探させて葬った。
潘璋(ハンショウ)
?−?
字は文珪。
呉の将。朱然と協力して関羽を捕らえ、褒美に関羽の偃月刀を賜った。
のち関羽の子・関興に追われ、関羽の亡霊に出くわして驚いたところを斬られた。
陸遜(リクソン)
183−245
字は伯言。
呉の将。孫策の娘婿。思慮深く、孫権の起用に応えて功績を上げる。呂蒙と協力して関羽を撃破し、荊州の奪還に成功。
さらに夷陵の戦いでは大都督として呉軍を指揮し、策をもって劉備率いる蜀の大軍を破った。
凌操(リョウソウ)
?−203
孫策配下の将。凌統の父。孫策軍に追われて落ち延びてきた厳白虎を打ち破り、孫策を迎えて配下となる。
孫策の死後は孫権に従って黄祖と戦うが、先頭切って夏口に攻め込んだところを敵将・甘寧に射殺された。
凌統(リョウトウ)
189−237
字は公績。
呉の将。凌操の子。孫権が夏口を攻めた際、黄祖配下の甘寧に父を射殺される。
若くして跡を継いだ凌統は、甘寧が味方となったのちも父の仇と憎み、対立した。
しかし、戦場においては孫呉のためにと、ともに戦い互いに手柄を競い合った。
呂蒙(リョモウ)
178−219
字は子明。
呉の将。武勇一辺の武将であったが、孫権に諭されて学問し、知勇を兼ね備えた名将に成長。
先輩の魯粛に「呉下の阿蒙にあらず」と感心される。陸遜とともに荊州を攻略し、奪回に成功して関羽を捕らえた。
魯粛(ロシュク)
172−217
字は子敬。
呉の臣。周瑜の推挙で孫権に仕える。赤壁の戦いでは劉備と連合して決戦するように主張した。
周瑜亡き後の都督に任ぜられ、魏・蜀に対抗して呉を支えた。




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