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無双モード攻略【他】┣ 呂布┣ 貂蝉 ┣ 董卓 ┣ 張角 ┣ 袁紹 ┣ 孟獲 ┗ 祝融 戦場MAP(武将&アイテム位置)┣ 夷陵の戦い┣ 虎牢関の戦い ┣ 官渡の戦い ┣ 宛城の戦い ┣ 長坂の戦い ┣ 赤壁の戦い ┣ 合肥の戦い ┣ 合肥新城包囲戦 ┣ 定軍山の戦い ┣ 潼関の戦い ┣ 汝南の戦い ┣ 五丈原の戦い ┣ 劉表奇襲戦 ┣ 石亭の戦い ┣ 成都制圧戦 ┣ 南蛮の戦い ┣ 樊城の戦い ┣ 街亭の戦い ┣ 呉郡攻略戦 ┣ 貂蝉千里行 ┣ 山賊撃退戦 ┣ 集落救出戦 ┗ 呉水軍撃退戦 |
データ集★シナリオ概要★通常アイテム ★通常装備アイテム ★レア装備アイテム ★護衛兵用武器 ★護衛兵用装備アイテム ★チャレンジモード ★5番目武器入手方法 ★取扱説明書 ムービー鑑賞/サウンド鑑賞★ムービー鑑賞(サムネイル)★サウンド鑑賞 |
西暦184年 汝南の戦い(黄巾党シナリオ) |
中平元年(184)春、太平道の信徒たらが教祖・張角の指揮のもと、各地で一斉に蜂起した。 権力闘争で腐敗し頽廃しきった朝廷に天誅を加えるべく立ち上がったのである。 この義拳は、信徒たちが頭に黄色い布を巻いていたことから、「黄巾の乱」と呼ばれた。 黄巾党の勢力は燎原の火のごとく、瞬く間に中原全土へと広がっていった。 張角は、この乱で権力を握ろうとしたのではなかった。 厳しい修行の末に得た不思議な力を世直しに生かそうとしたのである。 だが、張角の期待を裏切る結果となった。 黄巾賊を名乗る暴徒がはびこり、天下を混乱に陥れたのだ。 朝廷は兵を募って、討伐軍を興す。 理想と現実の差に失望する張角だが、今は信徒たちを守ることが先決だった・・・ |
西暦184年 汝南の戦い(南蛮軍シナリオ) |
合肥新城を落とした孟獲は、ついに諸葛亮を追いつめた。 諸葛亮は「人材が足りなかった。貴殿は良い部下をお持ちだ。後れを取ったとしたなら私ではなく部下だ」と悪びれない。 孟獲は、ならば好きなだけ人を集めてみろと諸葛亮を逃した。 しばらくして諸葛亮から「汝南の古城にいる。人材はそろったので、いつでも攻めてこられよ」と書状が届いた。 もはや諸葛亮に釈明の余地はない。今度こそヤツを捕らえたら兵法を説いてやろうか。 いっそこの手で片を付けてやろうか。高ぶる気持ちを抑えつつ、孟獲は諸葛亮との対決に臨む・・・ |
西暦191年 虎牢関の戦い(董卓軍シナリオ) |
世を揺るがした黄巾の乱は、討伐軍の奮闘によって一応の平定を見たが、天下は未だ混沌としていた。 こうした時期に台頭し、混乱を収めたのが西涼からの救世主・董卓である。 英雄的な働きにより幼い皇帝を救った董卓は、都・洛陽に入城し、軍政を任される。 さらに猛将・呂布をも従えて、溢れる才知と強大な軍事力を背景に、政治を担うまでになった。 各地の群雄は、董卓の活躍を妬んだ。そして、曹操の発した「董卓討つべし」の檄文に応え、一斉に拳兵する。 ここに逆賊、袁紹を盟主とする反董卓連合軍が結成された。 初平二年(191)、連合軍が洛陽の東へと迫る。 迎え撃つ董卓は、難攻不落の虎牢関でこれを返り討ちにせんとする。 その傍らには、猛将・呂布と美姫・貂蝉の姿があった・・・ |
西暦191年 虎牢関の戦い(連合軍シナリオ) |
黄巾の乱に乗じて台頭し、権力を握ったのが西涼の雄・董卓である。 董卓は、幼い皇帝を擁して都・洛陽に入城し、その強大な軍事力を背景に非道な恐怖政治を行った。 董卓の横棒に不満を募らせた各地の群雄は、曹休の発した「董卓討つべし」の檄に応じて反董卓連合軍を結成する。 そして盟主に推されたのが、名門の誉れ高い袁紹であった。 初平二年(191)、反董卓連合軍が洛陽に攻め寄せる。 軍事上の要衝にして難攻不落をうたわれる水関、虎牢関を巡って、今しも戦いが繰り広げられようとしていた・・ |
西暦191年 虎牢関の戦い(南蛮軍シナリオ) |
祝融らは、敗走する曹操の船団を追ったが、土地に不慣れなこともあって見失ってしまう。 船旅にも飽きた祝融は、上陸しようと孟獲にせがみ、一行は陸路で中原を北に向かった。 都・洛陽へと近づいた祝融らは、程なく要塞のような関所にさしかかった。 戦う意思などなかったが、異様な軍装の祝融一行を黙って通すほど、虎牢関の軍勢は甘くなかった。 都の支配者・董卓は、南蛮軍の接近を聞いて前もって備えていたのだ。 祝融の姿を捉えた董卓の瞳が怪しく光る。こうなったら力ずくで通るまでと、祝融は武器を手に取った・・・ |
西暦192年 劉表奇襲戦(黄巾党シナリオ) |
討伐軍の激しい追撃を振り切り、張角一行は荊州入りを果たした。 そこで張角は、刺史・劉表の援助を受けて、江夏の小城に滞在することを許される。 張角は長旅の疲れを癒し、信徒たちも安らぎの一時を得る。 しかし安心したのも束の間、孫堅率いる黄巾討伐軍の奇襲を受けてしまう。 ここも張角らの安寧の地ではなかったのだ。 張角の動きは、討伐軍に筒抜けだった。劉表の厚遇は、すべて仕組まれたものだったのである。 気づいたときにはもう、無数の孫堅軍が長江から次々と押し寄せてきていた・・・ |
西暦197年 宛城の戦い(董卓党シナリオ) |
飛将の名に恥じぬ呂布の働きにより、曹操軍は官渡に散った。 その地盤をより強固にした董卓は、さらに版図を拡大するべく南征軍を編成し、先鋒を呂布に命じたのだった。 宛城の城主・張繍は呂布の名に恐れをなし、たちどころに降伏して城を明け渡した。 呂布に引き続き宛城に入った董卓は、そこで元の城主・張済の妻に心を奪われてしまう。 張済の甥である張繍は、董卓に激しい怒りを抱き、軍師の賈詡は荊州に滞在していた劉備の協力を取り付け、 董卓を急襲せんと計略を進めるのだった・・・ |
西暦197年 呉郡攻略戦(南蛮軍シナリオ) |
夷陵で完勝を収めた孟獲は、その勢いで呉を滅ぼした。 諸葛亮は「平地の戦は兵力の差で勝負が決まる。砦の戦いこそ私の得意とするところ」と呉郡の砦での籠城戦を決め込む。 諸葛亮との戦いは、孟獲の退屈を紛らわすのには十分だった。 実際、諸葛亮の策略の数々は、孟獲にとって新鮮なものばかりである。今度はどういう手を使ってくるのだろうか。 期待に胸を躍らせながら、孟獲は入り組んだ呉郡の砦へと足を踏み入れる。 どんな仕掛けがあろうと、最後はこの拳で叩き潰す。その瞬間への欲求が、孟獲を突き動かしていた・・・ |
西暦200年 官渡の戦い(董卓軍シナリオ) |
虎牢関の戦いは、董卓の卓越した指揮と呂布や貂蝉らの目覚しい働きにより、董卓軍の勝利に終わった。 盟主・袁紹を失った連合軍はあえなく解散し、群雄は自国へと散る。 袁紹亡き後、その旧領である河北の地を収め力を蓄えたのは、乱世の奸雄・曹操だった。 曹操は、董卓の手から政権を奪回すべく南下を開始し、破竹の勢いで都・洛陽に迫った。 建安五年(200)、董卓は官渡に布陣し、黄河を渡ってきた曹操軍を迎え討たんと待ち構える。 中原の覇権を賭けて、董卓と曹操がここに互いの知略を競わせる・・・ |
西暦200年 官渡の戦い(袁紹軍シナリオ) |
激闘の末に董卓を破った連合軍であったが、もはや後漢王朝は完全に権威を失っていた。 諸候たちは野望を胸に自国へと散り、時代は群雄が割拠する戦国乱世へと突入する。 群雄の中でも抜きん出ていたのが、名家出身の袁紹である。 袁紹は河北一帯を手に入れ、一大勢力を築いていた。これに対抗したのが、帝を擁して河南を支配していた曹操である。 袁紹は大軍を率いて南下した。かつては友であり好敵手であった曹操だが、今は倒さねばならぬ敵である。 建安五年(200)、中原の覇権を賭け、両雄が官渡で激突した・・・ |
貂蝉千里行(呂布軍シナリオ) |
孫策の包囲網を打ち破った呂布は、その勢いを駆って呉の背圧を成し遂げた。 喜んだ董卓だったが、同時に呂布の力を恐れ、呉の旧領を与えて東南の地に呂布を留めようとする。 そんな董卓の真意を知ってか知らずか、董卓に反旗を翻すよう呂布をけしかける者がいた。 呂布と生死をともに戦った美姫・貂蝉である。ほかならぬ貂蝉の言葉に、呂布は決心した。 反乱の準備を整え、まさに出撃しようというそのとき、貂蝉が脱走したとの報せが入る。 呂布は真偽の程を確かめんと、部下の諫めも聞かず貂蝉を追って陣を後にするのだった・・・ |
貂蝉千里行(貂蝉軍シナリオ) |
ついに董卓は倒れた。涙をのんで幾多の命を犠牲にしてきたのも、すべてこのときのためであった。 貂蝉は、政治に疎い呂布を説得し、漢王朝復興を認めることを約束させた。 かくして漢王朝の復興は成った。呂布は権力を奪われ、軍団は解散となった。 計画を立案した養父、王允もすでにこの世になく、役目を終えた貂蝉の居るべき場所はなかった。 貂蝉は、呂布のもとを去ることを決意する。密かに都を離れ、ひとり西方へ向かう貂蝉。 だが、それを猛然と追いかける一つの人影があった。外でもない呂布であった・・・ |
西暦208年 長坂の戦い(董卓軍シナリオ) |
宛城で張繍・劉備の奇襲に遭った董卓だったが、呂布の奮闘によって九死に一生を得る。 怒りの収まらぬ董卓は、呂布を荊州攻略軍の大将に任じて劉備の討伐を命じた。 建安十三年(208)、呂布は荊州の樊城で守備にあたっていた劉備に急迫する。 劉備はあえなく長坂への逃走を図り、仮を慕う将兵と董卓の略奪を恐れる民がそれに従った。 劉備軍の足取りは重く、名馬・赤兎をもってすれば追いつくのは造作もないことだった。 劉備に迫る呂布の前に、関羽・張飛・趙雲ら一騎当千の豪傑たちが立ちはだかる・・・ |
西暦208年 長坂の戦い(袁紹軍シナリオ) |
袁紹は苦戦の末に官渡で曹操を破り、これを敗走せしめた。 中原を支配下に置き、帝をも掌中に収めた袁紹は、宿願であった天下統一の大事業へと乗り出す。 大軍を率いて南下した袁紹は、荊州の進攻を開始した。その途上、樊城の守備にあたっていたのが劉備だった。 劉備は流浪の末、この地に客将として身を寄せていたのである。 大軍に抗するすべのない劉備は、南へと逃走を図る。 兵のみならず、民までも引き連れた劉備一行の足取りは重い。 追撃する袁紹軍は、ついに長坂の地で劉備軍の背後に迫った・・・ |
西暦208年 長坂の戦い(黄巾党シナリオ) |
張角は、いまだ彼を信じて付いてきてくれる民を見捨てられずにいた。彼らに報いる道はないのだろうか。 朝廷を変えられないのなら、自分で理想の国を創ればいいのではないか。 一時は希望を失いかけた張角だったが、民の信頼が彼の心を動かした。 張角は、信徒と民を引き連れて中原を脱出し、南へと向かう。 大群衆による牛歩のごとき行進が始まった。 背後からは、袁紹率いる黄巾討伐軍が容赦なく迫る。 信徒を守り、理想を実現するためにも、張角はそれを退けなければならない。 新天地を求める長い行列が続いていく・・・ |
西暦208年 長坂の戦い(南蛮軍シナリオ) |
孟獲は成都を落とし、蜀の地を手中にした。 しかし諸葛亮は「不意打ちなどと、しょせん蛮族のやり口よ。正面から戦えば私の敵ではなかっただろうに」と言い残して去る。 それを聞きつけた孟獲は、ならば今度は正々堂々と勝負してやろうと蜀に宣戦布告する。 荊州へと向かっていた劉備軍は、戦いの地を長坂に定め、陣容を整えて待ち受ける。 いかに諸葛亮が策を弄してこようと、少しも恐れることはない。 計略に頼るのは、自分の力に自信のない者がすることである。 自信に満ち溢れた孟獲が、長坂へと乗り込む・・・ |
西暦208年 赤壁の戦い(呂布軍シナリオ) |
貂蝉の真の目的は、董卓と呂布を仲違いさせ闘わせることにあった。 しかし、呂布は、その事実を知ったうえで彼女を許し、あらためて自らの意思で天下を取ることを決意する。 一方、呂布謀叛の報せを聞いた董卓は、義理の息子として目をかけてきた呂布の裏切りに激しい怒りを燃やした。 董卓は自ら討伐軍を編成し、全兵力を率いて南へと進軍する。 長江を董卓軍の大船団が埋め尽くす。これに対し呂布は、水戦に長けた呉の精兵を率いて赤壁で迎え撃つ。 天下を、そして貂蝉を巡り、宿命の両雄がここに最終決戦を迎える・・・ |
西暦208年 赤壁の戦い(董卓軍シナリオ) |
呂布の援軍こそ来なかったが、董卓は劉備を破って蜀を滅ぼした。 勝利を喜ぶ董卓だったが、そこに「呂布、謀叛」の急報が飛び込む。董卓にとって、まさに晴天の霹靂であった。 呂布は董卓の援軍を断っただけでなく、反旗を翻したのだ。 さらに、目付役として留めた美姫・貂蝉までも呂布に付いたという。 信頼していた者の裏切りに、董卓は激怒した。 董卓は、自ら討伐軍を率いて出陣した。長江を大船団が埋め尽くす。 董卓と呂布、英雄は天下に二人もいらない。赤壁に対峙した宿命の両雄が、ここに最終決戦を迎える・・・ |
西暦208年 赤壁の戦い(黄巾党シナリオ) |
孫堅軍の奇襲を退けた張角は、長居は無用とばかりに長江を渡って南へ逃れようとする。 あてのない旅ではあったが、理想の国の実現のみを夢見て、ひたすら南を目指した。 しかし、長江に出た彼らを待ち受けていたのは、行く手を阻まんとする討伐軍の大船団であった。 水戦に不慣れな黄巾軍は、手練れの孫堅水軍をただ呆然と眺めるばかりだった。 この河を越えれば黄天の世が開ける。張角が信念を込めて、臆する信徒たちに号令する。 張角の力強い言葉に、信徒たちの心から迷いが消えた。赤壁の船上に黄巾が舞う・・・ |
西暦208年 赤壁の戦い(南蛮軍シナリオ) |
呉の船団を破った祝融の船に、新たな船団が近づいてきた。 祝融の身を案じ、慌てて南中からあとを追ってきた孟獲であった。 祝融は、このまま各地を見て回ろうと持ちかける。 孟獲は笑ってこれに同意した。たまには夫婦で旅するのも悪くはない、と。 こうして祝融と孟獲、お供の南蛮諸将を乗せた船は、長江をのんびり下っていった。 そんな彼らの前に大船団が現れる。呉の攻略のために南下してきた曹操の軍勢であった。 我ら夫婦の行く手を阻むのは何者と、祝融の見据える先に、曹操と甄姫の姿があった・・・ |
西暦214年 成都制圧戦(南蛮軍シナリオ) |
孟獲は南蛮の地で蜀軍を散々に打ち破った。 すると諸葛亮は「私は敗れたわけではない。地の利のない南蛮での戦いを避け、撤退するまでのこと」と軍をまとめて蜀に退いた。 これは聞き捨てならぬと戦意を煽られた孟獲は、ならば諸葛亮に地の利のある蜀で戦おうと南蛮諸将に出撃の用意を命じる。 たちまちのうちに南蛮軍は大軍勢へと膨れ上がった。 孟獲は、蜀の都・成都を目指して大軍を率いて北上する。その威容の前には、何者も進路を妨げられなかった。 いずれ劣らぬ南蛮諸将が、孟獲とともに意気揚々と進軍する・・・ |
西暦211年 潼関の戦い(董卓軍シナリオ) |
合肥にて孫策と手合わせした董卓は、自らの武をもってこれを打ち破った。 「小覇王」の孫策に、「大覇王」たる董卓が敗れるはずもない。董卓は瞬く間に江南一帯を平らげた。 董卓は度量の広さを見せ、これまでの働きに報いてやろうと、江南の地を呂布に委ねた。 自らは都へと凱旋し、祝宴の日々を送らんとするが、それを許さぬ急報が届く。 「錦馬超」と自称する馬超なる小豪族が、西の都・長安を騒がしているというのである。 これは捨て置けぬと、董卓は再び軍を率いて出陣し、関中の要害・潼関へと向かった・・・ |
西暦215年 合肥の戦い(董卓軍シナリオ) |
董卓は中華北部をほぼ制圧した。その地盤は揺るがぬものになったと思われたが、南からそれを脅かさんとする者が現れた。 江南一帯に勢力を誇る「小覇王」こと孫策である。 野心に溢れる孫策は、董卓何するものぞと、呉軍を率いて北上を開始した。 孫策軍が接近中との報せを受けた董卓は、この機に孫策を滅ぼして江南まで手中にしようと画策する。 呂布を従え自ら軍を率いた董卓は、合肥へと向かう。いかに孫策が勇猛といえども、呂布には敵うはずもない。 まして我が武をもってすればと、大剣を手にする董卓であった・・・ |
西暦215年 合肥の戦い袁紹軍シナリオ) |
樊城に駆けつけた袁紹は、見事に関羽を倒し、その窮地を救った。 思わぬ邪魔が入ったが、これしきのことで動じる袁紹ではない。呉の攻略を再開するや、合肥へと軍を進めた。 孫一族は、かの兵法家・孫子の血筋と言われているだけに侮れない。 とはいえ、たかだか三代でのし上がった地方豪族。朝廷の要職を代々輩出してきた袁家に及ぶはずがあろうか。 曹操が去り、劉備が滅びた今、孫権を倒せば袁紹の天下統一は目前である。袁家の歴史に輝かしい記録を刻むのだ。 名門の誇りを背に、袁紹は江南の若虎との戦いに挑む・・・ |
西暦215年 合肥の戦い(南蛮軍シナリオ) |
石亭での襲撃を凌いだ祝融らは、さらに奇襲があるのではと、来た道を引き返す。しかし、それこそが呉軍の罠だった。 合肥まで退いた南蛮軍の前に、呉の軍勢が姿を現す。 そこには、南中で破った武将、船上で破った武将、石亭で破った武将、といった懐かしい顔ぶれが並んでいた。 いずれも祝融との対決の機会を虎視眈々と窺っていたのである。 呉軍にとって、この戦いは国の存亡を賭けたものであると同時に、呉将たちの復讐戦でもあった。 呉を滅ぼすつもりなど無かったが、売られた喧嘩は買わない祝融ではなかった・・・ |
西暦219年 樊城の戦い(袁紹軍シナリオ) |
劉備を破り荊州を手に入れた袁紹は、荊州に軍の一部を残して都へと戻った。 次の目標である呉の孫家を攻めるため、軍を再編成する必要に迫られたからである。 その隙を突くように、劉備軍の残党・関羽が荊州に攻め寄せた。 長坂からただ一人逃れた関羽は、孫権軍の協力を取り付け、劉備の仇を討つべく樊城に襲いかかったのだ。 取り囲まれた樊城の将兵らは、決死の覚悟で籠城戦に臨んだ。 その報告を聞いた袁紹は、自ら軍を率いて孤立した樊城に駆けつける。 樊城の命運は袁紹の双肩にかかっていた・・・ |
西暦219年 定軍山の戦い(董卓軍シナリオ) |
孫策が合肥で倒れたことにより、江南の地は董卓の手に落ちた。 こうして董卓に反攻する勢力は、職に逃げ込んだ劉備のみとなった。 董卓は、呂布を率いて劉備討伐へと乗り出す。 皇帝の血を引くと称した劉備は、漢王朝復興を旗印に掲げ、職に一大勢力を築いて天下を窺っていた。 討伐軍を率いた董卓は、呂布とその目付役の貂蝉とともに漢中へと入る。 蜀軍は漢中・要害・定軍山に布陣していた。指揮するのは、天才と噂される軍師・諸葛亮である。 しかし、武力のみを頼りとする董卓は、策もなくただ突進を命じるのだった・・・ |
西暦222年 夷陵の戦い(董卓軍シナリオ) |
呂布の奮闘に貂蝉の献身的な働きが加わり、董卓軍は蜀軍を退けることに成功した。 以来、呂布は貂蝉に対し信頼以上のものを抱くようになり、その進言に従って呉へと撤退する。 呂布が退いたのを好機と見た蜀軍は、荊州に軍を進め、長江沿いの夷陵に布陣した。 呉に戻った呂布は、新たなに編成した大軍を率い、夷陵に向けて意気揚々と進軍を開始する。 呂布の傍らには、つねに貂蝉の姿があった。 貂蝉の言葉に野心を煽られた呂布は、やがて目前の蜀軍の先に別の敵を見るようになる。 貂蝉の計画は着々と進行しつつあった・・・ |
西暦222年 夷陵の戦い(黄巾党シナリオ) |
張角のもとに一丸となった黄巾軍は、赤壁の孫堅軍を突破した。 孫一族の逆襲を警戒した張角は、これ以上の無用な争いは避けようと、進路を西へと転じる。 しかし、そんな張角の思惑とは裏腹に討伐軍の新たな追っ手が待ち受ける。 夷陵に着いた黄巾軍の前に立ちはだかったのは、蜀の劉備とその軍師・諸葛亮の率いる大軍勢だった。 天才軍師と呼ばれる諸葛亮の、数々の奇計が行く手を阻む。 彼の怪しい術もまた、修練によって得られたものに違いなかった。 張角と諸葛亮、二人の奇才がここに激突する・・・ |
西暦222年 夷陵の戦い(南蛮軍シナリオ) |
孟獲は蜀軍を正面から叩き、劉備勢力を壊滅した。 これを諸葛亮は「寡勢であったことが悔やまれる。兵力さえ十分ならば私の軍略を発揮できようものを」と行方をくらます。 ならば十分に戦力が整ってから攻めてくるがいいと、孟獲は諸葛亮が再び動くのを待った。 しばらくして、呉の軍師に収まった諸葛亮が大軍を率いて夷陵の地へと攻め込んでくる。 今や遅しと首を長くして待っていた孟獲は、闘志満々にこれを迎え撃つ。力押しの勝負は孟獲の望むところである。 これで負ければ、さすがの諸葛亮も文句は言えないだろう・・・ |
西暦225年 南蛮の戦い(黄巾党シナリオ) |
蜀軍の包囲網を突破した張角は、軍を南へと進めた。そしてついに、討伐軍を振り切った黄巾軍は、南中の地に辿り着いた。 ここから張角の理想の国が広がるはずてあった。 だが、ここにも張角の理想を阻む者が現れた。 進入者許すまじと、南中一帯の民族を束ねる南蛮王・孟獲が、攻撃を仕掛けてきたのだ。 張角の必死の説得も、彼らには通じなかった。 いまだかつて見たことも無い異様な軍団が、黄巾軍に迫る。もはや、逃れる場所はない。 ならば我らの力でこの地を勝ち取るのだと、張角と黄巾の子らが最後の試練に挑む・・・ |
西暦225年 南蛮の戦い(南蛮軍シナリオ) |
南蛮の地の王者・孟獲。南中一帯の支配者として複数の民族を束ねていた彼は、 いつしか南蛮王と呼ばれ、この地の守護神として畏れ敬われるようになっていた。 南中を侵す者は、誰であろうと容赦しない。そんな孟獲のもとに、蜀の軍団が攻め込んできたとの報せが飛び込む。 軍を指揮するのは、諸葛亮と名乗る軍師とのことだった。 諸葛亮は、天才軍師と噂されるらしい。天才率いる軍勢となら、きっと面白い戦ができるだろう。 平穏な毎日にすっかり退屈していた孟獲は、久々の戦いに心を躍らせていた・・・ |
西暦228年 街亭の戦い(袁紹軍シナリオ) |
合肥に孫権を破り、袁紹の天下統一は成ったかに見えた。だが、袁紹が孫権と争っている間に、西で動きがあった。 行方をくらましていた曹操が、蜀の都・成都を制圧したのだ。 天然の要害に囲まれた蜀の地と、名だたる将を抱えた曹操は、 天下を狙う袁紹の最大の敵となり、ここに再び立ちはだかったのである。 袁紹にとって、避けては通れぬ道であった。 曹操を二度と立ち上がれぬまでに打ち破る。非情な決意を固めた袁紹は、討伐軍を漢中へと進めた。 狙うは険阻で知られる要衝・街亭。そこは曹操軍の命綱といえる場所であった・・・ |
西暦228年 石亭の戦い(南蛮軍シナリオ) |
曹操に続いて董卓までも破った孟獲と祝融は、自分たちの意志とは関係なく、華北の覇者となっていた。 だが、もともと侵略のつもりはなく、華北の地を支配する気などなかった。 祝融は、そろそろ故郷が恋しくなっていた。そこで孟獲に南へと帰ることを切り出した。 一方の孟獲も、北の寒さに閉口していたので、これ幸いと帰郷の準備に取りかかる。 祝融一行は、呉を経由して南へと向かった。しかし、それが呉には華北を制圧した南蛮軍の侵攻と映った。 呉は先手を打とうと石亭に軍を進め、迫り来る祝融らを誘き寄せる・・・ |
西暦234年 合肥新城包囲戦(董卓軍シナリオ) |
赤兎を駆って劉備を追った呂布は、長坂の地でこれを殲滅することに成功する。 その後、呂布は東進して合肥新城に入った。ここから次の目標である呉を攻略しようというのだ。 一方、呉の孫策は、座して死を待つわけにはいかぬと迎撃に向かう。呉軍は、軍師・陸遜の指揮により迅速に展開した。 かくして合肥新城は一晩で呉の大軍に包囲されてしまう。 籠城戦は性に合わぬと、呂布は城内に貂蝉を残して打って出た。 武のみを頼りに奮戦する呂布だったが、いつしか突出させられ、大将不在の合肥新城に不気味な影が忍び寄る・・・ |
西暦234年 合肥新城包囲戦(孟獲軍シナリオ) |
孟獲は呉郡の砦を叩き潰した。 最後に諸葛亮は「しょせんは田舎の者、こう脆くては策も何もあったものではない。やはり堅固な城でなくては」と 言い残して姿を消した。 残る行き先は魏しかない。そして堅固な城となると、合肥新城がそれにふさわしかろう。 孟獲は己の読みの見事さに惚れ惚れしながら、喜々として追撃の軍勢を進めた。 果たして諸葛亮は合肥新城にいた。これ以上に堅固な城は無いというほどの、難攻不落の要塞である。 ここまで来たらとことんやってやろうと、孟獲は城の包囲にかかった・・・ |
西暦234年 合肥新城包囲戦(祝融軍シナリオ) |
合肥で何とか呉の軍勢を退けた南蛮軍だったが、その攻撃に大きな痛手を負ってしまう。 そこで、新築されたばかりの合肥新城に入り、長旅の傷を癒すことにした。 ようやく傷も癒えた頃、にわかに外が騒がしくなる。どうやら大軍勢に城を取り囲まれたらしい。 祝融が見ると、今まで倒した女武将たちが最後の戦いに挑もうと参戦している。 その中でも、際だって異彩を放っていたのが、貂蝉の傍らにいる最強武将・呂布であった。 夫の孟獲と顔を見合わせた祝融は、誰であれ我れら夫婦に敵うものかと、戦場へと赴く・・・ |
西暦234年 五丈原の戦い(董卓軍シナリオ) |
董卓は潼関で馬超軍を打ち破り、これを壊滅に追いやった。かくして長安には再び平安が訪れる。 敗れた馬超は西へと逃れ、蜀の劉備を頼り、これに帰順した。 劉備は、漢王朝再興を騙って無頼の徒を集め、帝位を簒奪せんとしていた稀代の梟雄である。 馬超だけならまだしも、それが劉備と組んだとなると、黙って見過ごしてはおけない。 董卓は江南の呂布に援軍を要請した。しかし、一向に動きがないのに苛立ち、到着を待たずに進軍する。 一方の蜀軍・諸葛亮が奸計を巡らせ、五丈原に待ち構えていた・・・ |
西暦234年 五丈原の戦い(袁紹軍シナリオ) |
街亭の戦いは袁紹軍の勝利に終わった。だが、曹操の息の根を止めるまでには至らなかった。 成都に戻って軍容を立て直した曹操は、総力戦の覚悟で長安へと押し寄せる。 これに応えるかのように、袁紹は大軍を編成し、自ら先頭を切って都を発つ。この戦いに、己の命運を賭けるかのごとく。 両雄が決戦の地に選んだのは、長安の西・五丈原であった。 袁紹と曹操。戦場にまみえること三度、ここに決着のときを迎えんとする。 若き日は友、過ぎては好敵手。そして、今は天下を競う宿敵として相争う。勝者はただ一人のみ・・・ |
集落救出戦(黄巾党シナリオ) |
辛うじて黄巾討伐軍を退けた張角だったが、理想が敗れたことで、失意のまま流浪の旅に出る。 天下は乱れ、群雄たちは相争い、民のことなど気にかける者はいなくなっていた。 そんな折、旅の途中で通りかかった集落で、黄巾賊に襲われている民に助けを求められる。 元はと言えば、自らが蒔いた種である。張角は村を救うために立ち上がる・・・ |
山賊討伐戦(董卓軍シナリオ) |
さしもの曹操も董卓の神算鬼謀には及ばず、官渡に散った。 河北の地までも我が物にした董卓は、意気揚々と凱旋の途につく。 道中、董卓のもとに伝令兵からの報せが入った。 報告によると、付近に盗賊の山塞があり、折に触れて略奪を働いているとのことだった。 自領での勝手な振る舞いは許さぬとばかりに、董卓は山賊退治へと乗り出す・・・ |
呉水軍撃退戦(南蛮軍シナリオ) |
祝融は、夫・孟獲との息の合った攻撃で蜀軍を撃破した。劉備は倒れ、孫尚香は生国の呉に逃れた。 この戦いは祝融にとって南中以外の世界を実感させるものとなった。 思えば、自分は南中から外に出たことがない。世界には、まだまだ手強い存在がいるのではないか。 そう思うと居ても立っても居られず、祝融は船に乗って河へと出ていた。 航海の途中、祝融を海賊と勘違いした船団に攻撃される。女王たる自分を海賊とは。 祝融は怒りに任せて敵の船に乗り込んだ。 そこには呉の都督・周瑜とその妻・小喬がいた・・・ |
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